「追放の歌」に見る詞と曲の嚙み合わせ、落差演出

 

 

muimix.hatenablog.com

 

 休みの国という日本のむか~しのバンドに「追放の歌」という曲がある。自分がはじめて聴いたのは六文銭というまた別のバンドによるカバーバージョンだったのだけど、それがめちゃんこに良くて感動し、当時のお気に入り曲まとめ記事にて取り上げたのだった(上に貼った記事のずっと下のほうに記載があります)。

 

 以降も、忘れた頃に聴き返してはビクンビクンと感動していたのですが、あまりに良いので自分がどこが良いと思っているのか、どこに感動しているのか、ということを書き残しておこうと思います。

 

 

 

 

 

曲のリンク 作詞作曲:高橋照幸

 

www.youtube.com

 

  上に貼ったSpotifyのものが休みの国によるオリジナル版です。下のYouTubeのものが『六文銭メモリアル』というライブ盤に収録された六文銭によるカバー版です。以下の記述は六文銭のカバー版について書いています。そんなにアレンジは変わらないのですがこっちの方が自分の好みなので…

(以降の文章を読み進める前に、ここで一回曲を聴いておいてほしい。以降の文章はいわばネタバレなので。)

 

 

 

 1番の歌詞を引用します。

誰もいない でこぼこ道を歩いてく
からの水筒も こんなに重いと思うのに


俺の背中にこだまする 人々のあの歌が
喜びの歌じゃない 追放のあの歌
きのうは俺も いっしょに歌ってた

 

 

 

 詞に沿って簡単に解説します。

 

・0:01~

 「誰もいない でこぼこ道を歩いてく からの水筒も こんなに重いと思うのに」

 Aメロですね。ギター、ベースだけのシンプルな伴奏に優し気なボーカルが乗る。非常にのどかな雰囲気です。

 

 

・0:24~

 「俺の背中にこだまする 人々のあの歌が 喜びの歌じゃない 追放のあの歌」

 サビとします。スタッカートの効いたカッティングがハキハキとした縦ノリを作り、メロからガラリと雰囲気が変わっています。端的に言えばシリアスな雰囲気。歌詞も不穏で、メロから続けて聴くとなんとなく描かれている人物(「俺」)に同情してしまいます。

 

 

・0:46~

 「きのうは俺も いっしょに歌ってた」

 便宜的にBメロとします。ここまでで1番ですね。スタッカートが終わり再びAメロと同じ横ノリののんびりとしたスタイルへ。楽曲的には弛緩(メロ)と緊張(サビ)を繰り返す循環構造でうまくメリハリが効いています。平穏なAメロから不穏なサビへ、そしてそこからまた解放されて一件落着、といった感じです。そう、音楽的には緊張のサビが終わって完全にリラックスしてる場面なんですが……なんとここで歌詞が牙を剥きます。曲展開に合わせて安心するような、気が抜けるような歌詞が来るかと思いきや、180°転回して厳しい自省の詞が来るのです。

 

 

 ここの曲展開を裏切る詞が、曲と歌詞のギャップが本当に鮮やかで印象的で……毎回感動してしまうんですよね。

 完璧に虚を突かれるんですよ。曲調がめちゃくちゃのどかだし、ボーカルは優しいし、ハモりは美しいし……。でも「きのうは俺も いっしょに歌ってた」んですよ。追放の歌を。こんなことある? こんなに優しげで、こんなに苦労してるのに? 歌ってたの???

 

 

 

 衝撃でした。曲構造と歌詞の組み合わせでこんなにギャップが作れるのかと。

 ポップミュージックがループを基調にしていることをぼくらはみんな知っている。弛緩→緊張ときたら次はまた弛緩するんですよ。この曲も弛緩を予感させて、実際に弛緩するんです。ここまでは予定調和で、聴き手も予想できてるし、実際予想通りになって安心するんです。ただ歌詞だけが違っていて……自分を突き刺してくる。なんで?

 

 ギャップを意識した音楽……印象に残っているのだと2021年の個人的な年ベスのSerani Pojiとかがあるんですけど、ここまで洗練されたものは「追放の歌」以外に知らない。仰々しくないんですよね。演技っぽさがなくごくごく自然。なのにギャップがある。

 「曲調と歌詞」なんて大雑把なものではなく、曲構造を、聴き手側の予感を利用したギャップなので一段階精緻でもあります。ここぞというところで落差を作っている。一点集中。

 

 

 

 そんな感じで自分は「追放の歌」に感動しているのでした。記憶をなくしてもっかい聴いてみたい気持ち。

 六文銭は代表作『キングサーモンのいる島』が昨年サブスク解禁されました(名盤)。が、ライブ盤である『六文銭メモリアル』はまだ解禁されてません。しかし『六文銭 BOX』という形で安価で入手できるので……興味があったらぜひ。