感動したくない若者について考えてみた(『出会って4光年で合体』を受けて)

 

 

 すいません。釣りというほどでもないけど、別段若者に限った話ではない。かなりgdgdだし、またこのブログではかつてなくキモい内容です。

 

 

 

 とくに誰かを説得したいとかそういうのはないので端的に書きますが、感動したくない理由について、自分の場合、「実現可能性のないものに憧れたくない」ということが一つあるなと思った。

 

 話の構成やら演出やら技術的なものに感動するのはいい。たぶん頑張ればモノにすることもできるだろうから。感動して、憧れて、努力することができる。

 しかし、憧れてもどうしようもないもの……自分では一生かかってもどうにもできそうにないものには感動したくない。憧れて努力したところで達成できないし、報われない。

 

 コスパ重視のおれたちは、報われる見込みがないものに向かって努力することができない。…まあ実際は順序が逆で、ネットが発達しさまざまな情報が手に入るようになった結果、それまでよりも物事の見通しが立つようになり(=報われる見込みがあるかどうかわかるようになり)、自然と努力の方向に慎重になったという話なのだと思う。でもだからこそ、物語の中で自分が共感できるキャラクターが報われるのを見たときはどうしようもなく感動してしまうのだけど。

 

 

 

ガチ恋の悲惨さ

 ここまで書いてきましたが、具体例がないと実感しにくいよね。ということで一番きつい例を出します。「フィクションのキャラクターにガチ恋すること」。

 

 尊敬とか、そういう種類の感動ならまだ昇華のしようがある。自分もそのようなすばらしい人間になるぞ、と努力することができる。しかし、「好き」「LOVE」はもうどうしようもない。なぜならそのキャラクターは現実にはいないから。どうしようもない。

(キャラクターに魅了されることを「感動」と捉えていいものか、という議論もあるかもしれませんが、ここでは感動の一種として進めます。)

 

 それでもどうしようもなくフィクションのキャラクターを好きになってしまうこともあると思う。ただ、これまで述べてきたようにその好意はどうやっても報われることはない。……大きな目で見るなら、もはやこう言ってしまうこともできるかもしれない。「われわれがフィクションのキャラクターに恋するとき、同時にわれわれは失恋しているのだ」と……。

 

 

 「ガチ恋」とまではいかないまでも、似たような経験をした人は少なくないのではないか。数十巻分の物語を経て、それまで全く色恋沙汰のなかった主人公に運命の相手ができたとき。それまでなんの屈託もなく楽しめていた物語になんとなく距離を感じたり、あるいは自分から無意識に距離を置いてしまったり…。微妙に作品との距離感がずれて、今までのように楽しめなくなってしまったり…。ありませんか! そういうこと!! ぼくはあります。。

 

 だから……失恋はどうしようもなく辛いから、おれたちはおもしろい物語につきもののとても魅力的なキャラクターに、半ば無意識で警戒している。そしてその警戒は時に「恋愛要素への警戒」に繋がったり……元の話に戻すなら、同じような機序で「感動可能性への警戒」「どうしようもなく憧れてしまうことへの警戒」が生じてしまうのではないか。

 

 ここまで書いて思ったのだけど、これアレだ、「責任も取れないのに人に夢を見させるんじゃない!」みたいな話ですね。その気もないのに期待させるなや、みたいな。でもこう書かれると、天邪鬼な自分には(それがどんな種類のものであろうとも感動することはプラスだろ(そうか?))みたいな思いも湧いてきてしまう。自分で書いておいてよ……。

 

 

 

 

 

 まあとくに結論とかは無いのですが……なぜこんな記事を書いたのかというと、昨日読んだ『出会って4光年で合体』というマンガ作品に衝撃を受けたからです。

 

出会って4光年で合体 - Google 検索(R-18注意)

 

 作品のヒロインを好きになってしまったし……彼らの恋愛のロマンチックさに感動してしまった。現実にはこんな美少女も、こんな都合が良くてロマンチックな展開もないと分かっているのに!

 

 主人公と自分を入れ替えても1mmくらいの可能性でそれなりにいい感じに展開するのではないか……?という実現可能性をほんの少しでも感じてしまって、それで終わった。だってかなり都合のいい条件がある。ヒロインは人間の美醜の価値観を持っていないし、つよつよな親友がいるし、序盤で主人公はヒロインの美しさに魅了されちゃう(=強い動機ができる)し…。

 

 しかしそういう恋愛関係を抜きにしても、自分は作品のものすごさに圧倒されてしまった。感動すると同時に、自分では一生かけてもこんな作品を作ることができないんじゃないか、と、そう感じてしまった。それは……それは苦しい。自分には作れそうもないような作品に、どうしようもなく感動させられ、そしてどうしようもなく憧れさせられてしまう……。どうすりゃいいんだよ。頑張りたいけどできる見込みがない。報われると思えないのに憧れてしまう。

 

 まあそんな感じです。若干日常生活に影響出ちゃってるので自分を落ち着かせるためにも書きました。

 どうでもいいですが前作の発表日から数えるとこの作品の製作には約2年が費やされているようです。2年をかけたら同じくらいの作品が作れると思いますか?(それまでにもかなりの経験があったとはいえ)

 まあ~同じ路線である必要はないのだけど、これができたら死んでもいいかもな、みたいに思えるようなものを作ってみたいものですね。はあ~

 

(追記)今思ったんだけど、もしそういう作品が作れたら、まあ製作じゃなくてもいい、なにか成し遂げられたなら、ワンチャン死ぬことが怖くなくなるのではないか? うーんそんな風に考えたことはなかった。でもこれ以上書くとなんかハードル上がりそうなので止めにする。