『ポップミュージックガイド The Rough Guide to 1080p』Web版(#01~40)

 5月29日に文学フリマ東京で頒布した『ポップミュージックガイド The Rough Guide to 1080p』のブログ記事版です。

 

 

 

 

・オマケミックス

 頒布時のオマケとして作成したミックス音源です。本記事を読む際のBGMとして、じゃあなくても良いのですが、まあ気軽に流していただければ。

 

 

 

・そもそも1080pって???

バンクーバーのインディーレーベル

1080pcollection.bandcamp.com

 

https://jp.ra.co/features/2363

↑ 上手く埋め込めなくてURLだけになってますが、Resident Advisorによる1080pの特集記事で、読めば1080pのことがだいたい分かります。頒布した本の中でもまずはこれ読んどけ!!って紹介しています。

 

 

 

 

 

 ということで本の内容に入っていきます。以下は基本的には本文部分のコピペです。

 

・「はじめに」

 10年代っていわゆる「ネットレーベル」が一番盛り上がった時代だと思うのですが、現在も運営が続いているものはともかくとして、既に終わっているレーベルなどはちゃんとアーカイブに残す活動をしないと完全にその痕跡が無くなってしまうのではないか……という危惧が自分にはあります。ということで、ほぼ活動が停止していてかつ自分のお気に入りである「1080p」というレーベルについて個人的にまとめてみました。究極的にはその「音源」を確保しないと意味がないだろうと思いますが、そこはまあこの本の読者が担ってくれるだろうということで…。
 Discogsを参考に、現在ではレーベルの作品としては取り下げられているものも、一度1080pからリリースされた作品は基本的には取り上げています。なんだかんだでサブスクリプションのサービスでも聴ける作品が多いので、これを機にこのおもしろいレーベルについて知っていただければと思います。

 

 

 

・注意:翻訳のクオリティについて

 これはもうほぼほぼ言い訳ではあるんですけど、公式の作品紹介文……の独自翻訳のクオリティがあまり良くありません! しかしこれにも理由があって、元の英文が非常に難解なんです。当初は自力ですべて翻訳しようとしていましたが、その量と文の難解さに心折れ、半分くらいは外部の有償の翻訳サービスに頼りました。(よくわからないところは飛ばし気味で!という自分の指示もありますが)それでも意味がよく取れないところが多々あります。しかしまあなんとなくの雰囲気くらいは伝わるクオリティなので、そういうものだと思って参考程度にお読みいただければと思います。また、もし興味があれば原文の読解にチャレンジするのもよいかと思います。

 

 

 

 

 

 ここから1080pからリリースされた各作品の紹介に入ります。左上からジャケットイメージ、アーティスト名(太字)、作品名。枠で囲まれた部分がレーベルのプレスリリースの翻訳で、囲まれてない部分が私による感想・紹介となります。(プレスリリースがない作品も一部あります。)

 掲載順はカタログナンバー順。また、後にレーベルから取り下げられた作品でも一度1080pからリリースされた作品はここで取り上げています。

 

 前半ということで#01から#40の作品まで。それではどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Heartbeat(s)

Home Remedies

 

 

 

 

 LOL Boysの片割れ、Markus GarciaのHeartbeat(s)名義でのデビュー作。アバンギャルドなテクノとゲットーなベースが50%ずつ入った『Home Remedies』は、シカゴで過ごした少年時代とDance ManiaやTraxxなどのレーベルから影響を受けている。303のツイストから漏れるデトロイトなフィーリングと、霞がかったシンセの背景に深いサブベース、クリエイティブなドラムシーケンスのタペストリーからなる鮮やかなエレクトロニックノスタルジアが特徴だ。LOL Boysの『Changes』EPでボーカルを務めたAngelina Luceroを再びフィーチャーした『Home Remedies』は、鮮明な質感とヘビーなグルーヴにあふれた領域となっている。

 

自分自身ダンスミュージックに詳しいわけではないので、まず基本的なところから触れていきたい。ハウスミュージックの、武骨かつ猥雑でよりビートを重視したサブジャンルとしてゲットーハウスがあり、さらにそこにエレクトロ、デトロイトテクノ、マイアミベースの要素を組み合わせたものが本作にタグ付けされた「ゲットーテック」であるらしい。実際、本作のサウンドは浮遊感がありつつも、特にビートの部分に関しては暴力的とも言えるほどにパワフルなもので、1080pのよりベッドルーム感のある作品群に先に触れていた自分としてはそのサウンドはかなり新鮮に映った。完全に汗を流しながら現場で踊り狂うためのサウンドであり、改めてレーベルのカタログを見返してもかなり攻めた……というかやや異色な作品のように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

Tings & Savage

Brain Foam

 

 

 

 

 メルボルン在住のレトロハウスプロデューサーRoland Tingsと共謀者Nathan Savageによるクラブメイトとウィードにまみれたコラボレーション作品。ベルリンの運河沿いのスクラップ置き場に隣接する古い行政機関の建物を改造した施設にて、11時間×8日間かけて完全に即興で制作された。強いクラブ的なバックボーンを持つクラシックなアンビエントエレクトロニックゾーンのため、温かく薄汚れた質感に集中し、115~130のテンポを意識的に避けたこの作品には、『Milky Way』EPを魅力的にしたTingsの贅沢さが陰ながらにハマっている。2人はアンプのヒスノイズの中に深く流れるようなサウンドを見出した——強いリズムの核を持つ、明るく脈打つシンセサイザー空間は、前夜にクラブで演奏されたトラックの抜け殻が再び太陽と煙で満たされたかのようだ。

 

霞がかったアンビエンスやアルペジエーターなどのウワモノだけに注目すれば伝統的なアンビエントニューエイジだが、そこに比較的早めのテンポのビートが入ることで、作品は瞑想的な領域からややダンスに近づいた、より曖昧な領域へと踏み出している。ベッドルームでのチルアウトとして聴くには半端だが、代わりにクラブでも使えるような機能性を得たようなイメージか。音楽性としては電子音楽を自由に追求していた頃のクラウトロックとも近く、具体的には初期のClusterなどに似ている。『Milky Way』はTingsが前年に100% Silkから出したEPで、Tingsは後にPrins Thomasも運営に参加するInternasjonalからソロアルバムをリリースするなど精力的に活動を続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

M/M

Midtown Direct

 

 

 

 

 ブルックリンのプロデューサーMichael McGregorのM/Mプロジェクトは、Meadowlands名義で発表した超クリアでミニマルなドローンから遠く離れ、抽象的で質感にこだわったクラブミュージックを追究する。『Midtown Direct』は、濁った功利主義の重い地下ゾーンへの彼の初めての航海であり、また彼が言うには「重くフィルターにかけられ壊れ切ったアンビエントテクノ」である。テープデッキのための色あせたローテク・ダンス・エクスペリメント。

 

過度にローファイかつ抽象的な、エクスペリメンタルなテクノ。「重くフィルターにかけられ壊れ切った~」という形容は的を射ていて、常に(テレビの)砂嵐がうっすらと音楽に被さっているかのようなサウンドだ。フッと現れては消えていくオバケのようなサンプル使いも含め、ActressやHuerco S.『Colonial Patterns』に直接通じる音楽性である。McGregorは後にATMの一員として再び1080pのカタログに顔を出すが、そちらでもこの蜃気楼のような感性は十全に発揮されている。抽象的なジャケットのデザインは何を意味しているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

Abstract Mutation

Fake Keygen

 

 

 

 

James Grantなる人物の、この名義での唯一作。特定のジャンルによらない、名義の通りアブストラクトな電子音楽。その音楽性の謎さ・匿名性により、自分の中の1080pのイメージと合致する。リリースが初期ということもあり、どちらかというとレーベルのイメージをアブストラクトな方向に推し進めた側の作品と言える。謎というよりは、作品がなにかしらの特徴を備える前の「ピュア」な状態と呼べるかもしれない。作品の中間地点となる#4「Open Season」のゆらゆら揺れながら漂流していく感じはなかなか心地よい。

 

 

 

 

 

 

 

 

Bobby Draino & Xophie Xweetland

Chrome Split

 

 

 

 

(作品が流通していないため、ネットで聴ける2曲のみを聴いた状態での感想となっています)ファットでビビッドな音色の朗らかなテクノ/ハウス。レーベルのここまでのリリースの中では間違いなく一番メロディアスかつキャッチーで、ネットに残る各メディアのリアクションの痕跡からもこれがレーベルを勢いづけるリリースであったことが伺える。レーベルからはSophie Sweetland (aka D. Tiffany)の作品が取り下げられており、その流れで本作も取り下げられたものと思われる。奇妙なアートワークも含め、レーベルの代表作の一つとして挙げることのできる作品のように思うが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

Young Braised

Japanese Tendencies

 

 

 

 

 ラップゲームの現時点では、バンクーバーを拠点とするラッパー、Young Braisedの始まりがありえないものであるかどうかは判断しがたい。Jaymes Bowman(IRLで知られている)は最初、キリスト教の家庭で育った後、P.O.Dのように時々ラップを挟むバンドを通してラップにのめり込んだ。その後、これがラップというものだと知り、クリスチャン・ラップを聴くようになった……偶然にもKazaaP2Pファイル共有ソフト)でDMXの曲をダウンロードするまでは。Jadakissはすぐにお気に入りのアーティストとなり、Nasは彼の兄(時々コラボレートするStrawberry Jacuzzi)が自宅で作った「クリーンエディット」によって、すぐにKia Magentisファミリーの一員となった。(Kia Magentis:韓国のKIA社が生産するセダン車)

 最近では日本人プロデューサーのTerioとこのカセットのためにリンクしつつ、Braisedはクラウドラップやカラフルなおふざけをしている。これまでの彼のコラボレーションはインターネット上でのものが多かったが(KarmellozやNeu Balanceなど)、Japanese Tendenciesではバンクーバーのハウス/ダンス集団Mood Hutともリンクしている。これらのトラックはダウンタウンイーストサイドにあるMood Hutで録音されたものであり、そこで彼はバンクーバーのDJたちに混じって頻繁にライブパフォーマンスをしている。

 Young BraisedはFriendzoneやClams Casino、Main Attrakionz、GuMMy†Be▲Rのネット領域などの新しい真摯なヒップホップの恩恵を受けつつ、しかしそこにはAntwonやLil Ugly Maneのような愛すべき大言壮語も存在している。

 この作品に着手したのは彼が初めて村上を読んだ春だった。現代のジャポニズムに対するそういった言及は極端なおふざけであり、またそれはスナック菓子、James Gandolfini(アメリカの俳優)、女の子、太平洋岸北西部、そしてもちろん豊富なドラッグについてのラップと混ざっている。

 『Japanese Tendencies』は「Gold Watch」におけるLupe Fiascoのラインから名付けられたが、それは彼自身の無意味なこだわりとプロセスを反映したものでもある。多くのマンガアバターサウンドクラウドユーザーと同様に、日本文化というよりはそれが商業化されたもの(デニム、デザインなど)との関わりの中でBraisedが導き出した主な性質(tendency)は「より思慮深い存在になる」ということだった。

 

元のプレスリリースの文章(上記翻訳文の元となる英文)が非常に難解で、作業を苦行と感じ始めたきっかけとなった作品。自分の能力の低さによるが、日本語でも英語でもいまいち意味がわからない。音楽性は本作のトラックを手掛けたTerio(@terio013)の趣味?がよく出た、モールソフトのような快適なヴェイパーウェイヴとGファンクの中間といった印象。日本語の音声のサンプリングが特徴的で、ヴェイパーウェイヴ黎明期の作品とはかなり通じる部分がある。「ラップがある」という一点だけでもカタログの中では異色の存在だ。今作のリリースが、今までも謎だったレーベルの印象が、より意味不明な領域へと突入した瞬間だった……のではないかと想像する。

 

 

 

 

 

 

 

 

Perfume Advert

Tulpa

 

 

 

 

 イギリスはミドルズボローのデュオ、Perfume Advert (Aaron Turner とTom Brown) は、深く這うようなテクノの抽象性とザラザラした質感、サブリミナルでぼやけたシンセラインを組み合わせ、地平線上の蜃気楼のように漂って消えていく新しいハイブリッドなダンスソニックを創造している。彼らはこの7月の本当に暑いUKの夏に小さな町家の階上の小部屋で生まれ、汗ばんだ110BPMのハウスビートを使った初期の実験が『Tulpa』へとつながった。『Tulpa』——Slow-growingな狂ったハウスグルーヴをバックボーンとした、霞を崇拝するアンビエントテクノの9つの完全ライブ録音である。

 きめ細かなテクノとハウスへの一発勝負のアプローチ(ポストプロダクションをほとんど行わない)からは、現在ではおそらく「アウトサイダー・ハウス」として括られる暗くよどんだ記号が、ディープでアナログな暖かさとともに前進することを主張しているのがわかる。KORG ESX-1によるグルーヴをバックに、フィールドレコーディングの超厚い靄とノイジーな(しかし微妙にメロディックな)テクスチャー……リードトラックの「Lampers」と「Rotted Out」は、歪んだクラブグルーヴと同じく鮮やかなSF的想像力で揺らぐ。機械的なリズムは、J.G. BallardやH.P. Lovecraftのグロテスクな感性と同様に、ヘビーゲーマーのドリームスケープに基づくテープ全体の空想的な雰囲気を支えている。

 『Tulpa』は、Andy Stott、Basic House、Raime、Tim Hecker、Huerco S.などの超リアルな荒涼として傾いたダンスワールドを参考にしているが、Perfume Advertの鮮やかな非定形の世界から漏れ出す向精神的なムードは、明らかに2人の親友が細部までこだわり抜いた成果だ。短波ラジオAbleton、そして様々なエフェクトを使い、Tom Brownのドローンとテクスチャーは、わずか1ヶ月ほどのジャムで驚くほど自由にTurner のたるんだファンクとの境界線を越えていった。

 Turnerのソロ、霧に取り付かれた//Amaとしての作品は、明らかにイギリスのポスト・ダブステップの幽霊的なアプローチを取りながらも強いリズム感があり、Perfume Advertの抽象的で質感豊かなテクノから蠢き出す強力なグルーヴは、そこに充満する濁ったドリームスケープに決して埋没することがない。

 

ぼやけた音像のテクノ。適度な強度のビートで部屋でのリスニングにもフィットする。M/M『Midtown Direct』に通じる内容で(アートワークのモノクロなところも似通っている)、メンバーが後にATM名義でコラボすることにも頷ける。プレスリリースで挙げられた作家陣とは、たしかに「得体の知れない感じ」でリンクしてるのかもなと思う。#3「Sand Worm」は霞がかったテクスチャーはそのままに、よりダンスオリエンテッドな曲構造を備えたアンセム。それにしても10年代前半における電子音楽のローファイ化の流行の強さを感じる。ひとつ言えることは、電子音楽においてサウンドを汚すこと(=ローファイ化)は、音色の機能的にはよりアンビエントに近づくことを意味する、ということだ。そういう意味では、この流行はクラブとベッドルームの接近を示唆する側面があったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

Mind Dynamics

Precision Instruments

 

 

 

 

 "器":統一された、集団的な行動と意識。自己の喪失、ケーブル、ミキサー、機械を交差する流れの交換、純粋な活力の節目から現れる一つの精神。"

 Daniel FreshwaterとBrian Whatevererによるライフスタイルを重視するブルックリン出身のデュオは、ここしばらくエレクトロニック/ダンスミュージックを通してイメージ/地位にとらわれた理想と関わってきた。『After-Sport』のような以前のリリースでは、蒸気の雲の中を漂い、滑らかさと荒々しさバランスを取っていたが、『Precision Instruments』の特徴づけているデジタルなガレキ、突然変異的なサンプル、熱狂的でメタリックなパーカッションは、イメージや地位にとらわれたライフスタイル経済の腐敗と解体を深く掘り下げている。

 「Precision Instruments』は、めちゃくちゃだが筋肉質なサンプルの反復の目まぐるしいセットを通して、輝くハイテクの美学が、実体のないダンスの記号と、常に覆され、引き延ばされ、変質させられる、全面的なディストロイド的狂乱である。バラバラのリズムが積み重なり、ロボティックでサイバネティックなクラブの廃墟が、Oculus Riftで見るのに最適なレベルまで劣化され、絶えず変化するぼやけの中で溶けていく。

 これらの壊れた過剰主義的な脱構築は、暗いながらも活気があり、自己の探求やディストピックな資本主義的現実に照準を合わせているため、決して絶望的ではない。むしろ、『Mind Dynamics』はたいてい砕けたiPhoneの画面の雰囲気だが、時おり崩れたテクスチャーから大きな静寂の瞬間を出現させるのだ。

 独特の弾力性と歪んだ空間感覚は、Eric Copelandの反転ダブやActressの散漫なテクノ、Pete Swansonの最近の壊れた倉庫業務と同様に、Night Slugsやその他の過剰さへの狂熱を思い起こさせるかもしれない。非常に乱雑で重く処理されたものではあるが、『Precision Instruments』の6つの録音(全てライブ)の中心にあるのはテクノである。

 

珍しくストレートにエクスペリメンタルなテクノで、一般的なポップの領域からはみ出した、錯綜としたサウンド・曲構造を持つ。なんだかんだで一定のポップさを維持していることが1080pというレーベルの強みの一つだと思うが、そこから外れているという点でこの作品も異色だと思う。作品に一貫しているのは細かな金属質のビートだけで、それ以外のサウンドは容赦なく変調され、また乱打される。意味不明と切り捨てられても仕方ないが、本作のサウンドの変化は連続的なもの——つまり耳で追えるものであり、注意深く追い続けることでまるで視界がぐんにゃりと歪んでいくような奇妙な感覚を得ることができる。それは非常にサイケデリックな体験で、もしかしたら危険な薬物を服用したらこんな感じになるのかもと思わせる。インスタントに楽しめる類の音楽ではないが、一度は集中して聴く価値のある作品だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

AT/NU

Psi Grove

 

 

 

 

 Igor IvanovとSami BlancoによるAT/NUプロジェクトは、超越に焦点を当てたアンビエンスと、トランスに影響を受けた探求的でハイブリッドなテクノから成っている。彼らのサイバー回帰的なデビュー作『Psi Grove』のその両面は、同じ3Dレンダリングの森林地帯にしっかりと位置し、ガラス質でぼんやりしたエレクトロニカ的なアプローチを再処理することでリスナーの神経振動エネルギーを「減衰」させることを意識課題として共有している。

 アルバムの大部分はモントリオールのグリフィンタウンにあるSamiの屋根裏部屋で(2週間で)制作されたが『Psi Grove』のデジタル化された天空の感覚は、イゴールニュージーランドで過ごした1年間に負うところが大きいようだ。往年の野外レイヴ、街角の「脱法ドラッグ」、自由で文化的な雰囲気の残り香が、「Tennu」などのトラックの宇宙的質感と同じように「Shift」のブレイクビートを通じて響きわたっている。

 「Nitewavs」や「Dro-gen」のようなサウンドスケープは、星のような前方に広がるシンセのドローンで照らされる一方、「Lodi」のようなElectribe主体のトラックとその寺院的な残響音は、大気中のシダ植物に覆われた風景と独立後のニュージーランドの穏やかなエネルギーを示唆している。

 『Psi Grove』の合成された生態系は、狭い認識からの多元的・全体的な離脱に焦点を当て、変位の統一された感覚のための幅広い没入を受け入れ、その過程でStellar OM Source、The Focus Group、Wolfgang Voigtからヒントを得ている。

 Igorのもう一つのプロジェクトであるWindowは、アトモスフェリックなジャングルとテクノの実験によって同じように洗練されたハイブリッドなゾーンを通る一方で、Samiの関連するプロジェクトであるTemple Volant、Nacomi、Mi Casa Tu Casaの作品ではより捩じれたエレクトロニクスが探求されている。

 

神秘的・瞑想的なトランスミュージック。サイケデリックトランス~ゴアトランスにニューエイジアンビエントのエッセンスを加え希釈したようなイメージ。個人的にサイケ~ゴアトランスに括られる音楽はあまりに濃すぎて腰が引けてしまうところがあるのだが、本作はより優し気な、チルアウトできる瞬間が多く取られており、日常生活にもフィットするレベルに濃度が調整されている。ドラムンやジャングルの要素もあるが、それらは序盤に少し出てくるのみで、本作の大部分は覚醒と鎮静の中間のような領域を漂っている。ところどころで鳴らされる民族的な音色や自然を想起させる音がいい味を出している。

 

 

 

 

 

 

 

 

Kitkkola

Sarah's Rocks

 

 

 

 

 「星の光、飛行機の光、街の光、ヘッドライト、スポットライト。空を舞うゲットーバード。行き止まりの通りの廃ビルの扉にラクガキされた"KITKKOLA"。空っぽの倉庫と虚無の反響。空っぽの倉庫と、新車の純正スピーカーの反響。トランクでガタガタいう低音。窓から投げ捨てたり、後部座席に投げ入れたり。崩れたコンクリートの隙間の音。隣のパーティー。来年の夏。今年の夏。来年の冬。今年の冬。今、この瞬間。ライブ・イン・デトロイト2014。」

 デトロイトのIce Cold Chrissy(別名Coyote Clean Up)のサイドプロジェクトであるKitkkolaは、今やとても分かりやすくメロディックなハウスとテクノの巨大なディスコグラフィーを蓄積している。瞑想的なグルーヴとテクスチャーにこだわったハイブリッド・ハウスを収録したこの80分いっぱいのカセットテープは、Chrissyの強みである写象主義的な細部調整と伝統的なダンスフィーリングを基盤に、常に散漫で開放的に仕上がっている。

 

ロディアスで馴染みやすいテクノ/ハウス。全体に安定したクオリティを備えているが、サウンド面での強い個性のようなものは見受けられない。聴きやすいが匿名的、という意味で少しライブラリー・ミュージックのようなイメージも(ニュースのBGMで流れてそうだ)。とはいえ曲単位で見れば輝くものももちろんある。個人的には、もう少しコンセプトに沿って曲を厳選し(現状はほぼ80分みっちり詰め込まれている)、またユニークなアートワークを付けてあげればまた印象は変わったのかな、と勝手に思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

Infiniti

M30

 

 

 

 

 インフィニティは、日本の自動車メーカー日産の高級車ブランドである。インフィニティは1989年11月8日に北米で正式に販売を開始した。

 インフィニティブランドは1989年に米国で導入された。インフィニティはLuke Wyatt。マーケティング戦略は、日産の主流のイメージに合わないプレミアム車層をターゲットとするもので、1985年のプラザ合意(先進5か国による為替レート安定化に関する合意)の影響も部分的にあった。

 インフィニティは、「Q45」と「M30」の2モデルでスタートした。Q45は、5mm短いホイールベース2,875mmを持つ、全く新しい2代目JDM日産プレジデントをベースにしていた。1992年モデルからは、プレジデントのホイールベースと同じ2880mmとなった。Q45は、初代Q45tに搭載された278ps(207kW、282PS)のV8エンジン、4輪操舵、アクティブ・サスペンション・システムなどを搭載した。メルセデスSクラス、BMW7シリーズ、ジャガーXJ、キャデラック・フリートウッドなど、フルサイズの高級路線で競争力を発揮するクルマに仕上がっていた。

 1990年 インフィニティM30

 1990年には、日産レパードのバッジエンジニアリングによる2ドアモデル、M30が登場した。レクサスSCの対抗馬として3年間生産された。パワートレインはVG30E型162ps(121kW、164PS)エンジンとオートマチックトランスミッションであった。M30クーペは、3,333ポンド(1,512kg)の純正重量に対してアンダーパワーであった。M30コンバーチブルは、ボディとシャーシの補強が必要だったため、さらに重量が増加した。

 北米に初めて導入された日本製高級セダン、アキュラ・レジェンド(後にレクサスGSがこれに続く)に匹敵する中高級セダンをインフィニティは提供しなかった。1992年に改良されたレクサスESと競合することになったインフィニティJ30は、狭い室内と特異なスタイリングで失敗し、1996年に日産マキシマに関連するインフィニティ・Iシリーズ、2002年にインフィニティG35に引き継がれた。

 インフィニティのバッジは、水平線に伸びる道路が「インフィニティ」まで続いている様子を表現したものである。インフィニティはLuke Wyatt。

 

(車の情報について)翻訳文は機械的に訳したものなので、誤った情報があるかもしれませんがご容赦ください。音楽性については全く触れていないけどアーティストの情報はこっそりと忍ばせてあって、こういう遊び心は嫌いじゃないです。音楽性はDucktailsやRangersの退廃的なローファイ・ポップにEmeraldsのコズミックなクラウトロックを組み合わせたようなもの。そういう意味で10年代初頭のイメージが強くある。しかし作品は聴き進めるにつれて(Valcrond Video版の)ジャケットのイメージのようにサウンドが歪んでいき、最終的にはよくわからない不気味な領域へと突入していく。コンセプトは掴めないが、しっかりとした音楽性を備えた不思議な作品だ。現在はLuke Wyattの自主レーベルValcrond Videoにてダウンロード販売している。

 

 

 

 

 

 

 

 

Karmelloz

Source Localization

 

 

 

 

 オレゴン州ユージーンのプロデューサーKarmellozは、1080pからのデビュー作『Source Localization』で、コンピューターで生成されたエレクトロニカのまた別の不定形の世界へと足を踏み入れた。インストゥルメンタルヒップホップ、アンビエントテクノ、フットワークなどのジャンルを緩やかに巡りながら、基本的には深夜に光るスクリーンの向こうの煙に隠れつつ、Karmellozは濃厚でハイブリッドな質感の靄の奥へと進み、脳と同じように有機物のレンダリングに関心を向けているのである。

 脳波パターン、私たちの脳が発する電気的な波、そして脳のシンクロニシティは、KarmellozのハードウェアとMaxMSPで作成された作品の抽象的な触媒となっている。現在、オレゴン大学で神経科学を中心に心理学を学んでいる彼は、遺伝学を取り巻くアイデアと遺伝子プログラミング/組み換えの可能性を、音楽的センスで歴史の遺伝物質を再プログラムする準備という観点から常に探している。

 

特定のスタイルに嵌まらない、アブストラクトな電子音楽。楽曲も文字通り不定形で、いまいちどういう音楽か説明しづらい。基本的にはメロディードリブンではなく、サンプルを小気味よく配置していくスタイルのようで、楽曲構造の不明瞭はそのスタイルに由来しているようだ。代わりに楽曲展開における反射神経のようなものは優れていて、カラフルなサンプルが乱れ飛ぶのを追っているだけでも楽しい。音選びやその配置には優れたセンスがあり、サウンド全体としては一流のアーティストにも劣らないカッコよさがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

Magic Fades + Soul Ipsum

Zirconia Reign

 

 

 

 

 ポートランドの重要なエレクトロニック再解釈家2人による、超深夜の街明りのコラボ作品。この60分18曲は全てライブで、マリファナとコーヒー、そして大量のピンクグレープフルーツのラクロワ(アメリカの炭酸水ブランド)を燃料とした数回のセッションから生まれた。

 『Zirconia Reign』は、ポートランドに住み、荒涼とした殺風景な郊外で公務員として働いていた彼らの経験から、心象風景と精神的なつながりを有機的に表現したものである。大量のシンセ、シーケンサー、ドラムパッドで「オルト」のメッカとして名高いこの場所の都市/郊外の分断を繋ぎ、平凡さに融合する記号のポストインターネットオアシスに入り浸る;ビデオゲーム、過去と現在の電子音楽、カスケーディアン(アメリカ北部にできるとされた仮想の国家?の住民?)の理想郷に反映される仮想/現実意識のパイオニアである。

 氷のようなR&B、未来的なファンク、そして最近のレイブ/エレクトロニックの領域から、なじみはあるが遠い理想をモーフィングした『Zirconia Reign』の奇妙な経験は、ポストアイロニックで、崇敬と高光沢なシミュレーションを浴び、充満する曇り空による集団的孤立で磨かれたものである。

 

2017年の『Zirconia Collapse』まで続くジルコニア三部作のオープニングとなる作品。Jam City『Classical Curves』のような艶やかでサイバーなサウンドで統一されており、どこかSF的な曲名も含めて独自の世界観が構築されている。R&Bとタグ付けされているが歌・メロディーの要素は少なめで、聴き手のイメージを膨らませるような演出・音遣いが多い。有り体に言えば映画やゲームのサウンドトラックが近いだろう。全体的にミステリアス(というか小さくまとまろうとしていないだけか)なレーベルにあって確固とした世界観を持つ、際立ったリリースだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

MCFERRDOG

Club Amniotics

 

 

 

 

 Max McFerrenは、元気いっぱいにはしゃぐテクノで、ブルックリンやチャイナタウンのロフトやクラブで特に遅い時間帯の定番となっているが、今回は簡素だがぜいたくな質感のMCFERRDOGプロジェクトの初お目見えとなった。ひねくれた楽観主義とPower 105.7(アメリアーカンソー州のラジオ局?)の爆音で構成された『Club Amniotics』は、幻想的で生き生きとした奇妙な実験と、非常に感情的で開放的なクラブマナーの両極端を行き来している。

 サーカスEDMや万華鏡のような伸縮性のあるテクノに夢中になっていても、正直すぎる感情やストレートな陶酔感に襲われていても、MCFERRDOGはこの自覚以前・クラブ以前での自我形成領域において全く奔放なのである。オルタナティブなPanorama Bar(ベルリンの高名なナイトクラブ)カルチャーを空想し、特に「Thesaurus Mode」のようなスポーティなバウンサーは、よりクリアなテクノのテンポに乗り、勢いのあるクラブの記号を超メロディックなASMRラブストーリーに加工している。また、 「Rosewater」のストップ/スタート・ファンクや少し酔っ払った「Vulgar Physics」がバウンシーでストレートに奇妙である一方、タイトルトラックでは突然変異のネオ・レイヴ感覚が高まる(本作の最も官能的な瞬間の一つである)。

 このような二面性は、McFerrenがDJ RichardやYoung Maleのような人と交流する一方で、同時にGobbyやPhysical Therapyのようなアシッドフリークとウェアハウスでプレイしていることを説明するのに役立つかもしれない。MCFERRDOGのストロークは幅広い——良いアイデアの敷居を飛び越え、ポストアイロニックな現実と抑えきれない想像力、ファンタジーニューエイジのイメージで最近の若者を再び解放する。

 

少しミュータント感のある伸縮自在のテクノで、レーベルとしては久しぶりにポップで楽し気なリリースとなった。ファットで暖かな音色が空間をびよびよと跳ね回り、そこかしこで鳴らされるファニーなサウンドが聴き手の頬を緩ませる。安定的なビートのあるかっちりとしたトラックもあるが、より魅力的なのはそれこそアーティスト名に入っている“犬”のように元気いっぱいにはしゃぎ回るトラックだ。楽曲としての完成度と予測不能性がもたらすワクワクという、一見すると相反しそうな要素を両立した、非常に魅力的な作品だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Beat Detectives

Ass Cop

 

 

 

 

 ミネアポリスの3人組、Beat Detectivesは、100% Silk、Night People、Moon Glyphといったレーベルからリリースされた数本のテープを通じて捩じれていった。その結果、"疑わしい内容"という理由で一旦は閉鎖されたものの、1080pの名簿にこぎ着けた彼らの最新パーティーテープは、ルーズで幻惑的なハウスとヘビーなバブルガムビートで、いつも以上にアマチュアの大言壮語を強調している。

 『ASSCOP』の軽快な反抗は(彼らの以前のカセットテープのように)、散らかったPCのデスクトップの、不要なWinampのPLSファイルから転送されてきたものである。本格的なFMラジオのチャンネル解析とデジタルラジオ番組を激しく分断し、ロック番組の汚れた小片とヴォーカルインタールード(「Youtube!」)の間に重苦しいハウストラックを刻み込み、下品なブートレッグビートと吹き替え音声テクノに対抗している。

 彼らのリズムには常に"午前3時の地下室ハウスパーティー"のヴァイブ(文字通り"パンクロッカーの地下室での汚れたレイヴ"から生まれた)が染み付いているが、『ASSCOP』はまるで、あらゆるジャンル・スタイル・ロケーションからの人工物を引っ張り出して、物事の解体についての探求をするリスナーと並んで闊歩する舗道のために作られたかのようだ。「Summer in the City」は超ヘビーかつ極めてファンキーで、70~80年代のディスコやプロト・ハウスのほこりまみれの華やかさを、断続的なハンドクラップとセックス・ポジティブなベース・グルーヴで表現している。「Fresh Out The Pack」は、押し潰すような低音のシンセで弾むように推進し、「Oh That Felix」は、最も充実した現代のダンスミュージックのモードでテープを開く。

 Beat Detectivesは、ミネアポリスとニューヨークを行き来しながら、Aaron Anderson、Oakley Tapola、Chris Hontos(DreamweaponとFood Pyramidとしても知られる)の間でトラックとアイデアを交換し、その制作モデルは、ポスト-バンド、ファンクのポストアイロニックなぼやけと絶え間ないリズムの中で「ASSCOP」が存在できるように、多彩に変化してきた。

 

本作は非常に雰囲気のある演奏で幕を開けるが——ジャケットやアルバムタイトルから察せられるだろう。まったく綺麗な作品ではない。例えばBeckのサンプリング路線の作品のような、海賊的でジャンクな味わいの作品だ。すべての素材がサンプリングなのかというとそうでもなく、Dean Bluntのようなアマチュアリズムに溢れた演奏もかなりの割合を占めている。かなり混沌とした内容だが、タグやプレスリリースで匂わされているように、酔っ払いたちのパーティーのような空気は全編に共通している。汚いし臭いしなにが起きてるのかよくわからないが、楽しいのだ。ただ一点、素面の人には聞かせないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

LNRDCROY

Much Less Normal

 

 

 

 

 バンクーバー在住のLNRDCROYによる、軽快なコズミック・エレクトロニカのカセットが久々に登場した。この1時間に及ぶ、透き通った記憶に残るトラック群は、ブリティッシュ・コロンビア州が春へと移り変わる、これ以上ないタイミングで発表された。

 『Much Less Normal』はLeon Campbellが都市とその周辺の自然環境に対して抱いた印象であり、古いRolandYamahaの機材を大量に使った繊細なシンセパッド、暖かく遠回しに瞑想的なキーボードアンビエンス、上昇していく好奇心旺盛なRoland JV-1080とJD-800のメロディに、YamahaドラムシーケンスとMPC駆動の運動で構成されたものである。

 より良い場所への憧憬について、あるシナリオや地域、イメージから最高の感情を引き出そうとするのと同じくらい、LNRDCROYのアンビエントテクノと90年代のユーフォリアに関する博学な知識(とディープなYouTubeチャンネル)は、ブリティッシュコロンビア州ノスタルジアと同様に、記憶の銀行として機能している。LNRDCROYのフォーラム——真の夢想家のドームは、雲に覆われた島々、バンクーバーの曇った日、チャイナタウンの喧騒、そしてAphexの古い断片といった超ビビッドなイメージを、初期のトランス、クラシックなアンビエントテクノや過去数十年の太平洋北西の先駆者(Stellar Sofa、Pilgrims of the Mind、Outersanctum(レーベル?))等とともに満載している。

 「Land, Repair, Refuel」のようなダウンビートなトラックからは大きな安心感が、「Now I'm In Love」のような広々として曇ったアンビエントドリフターからは、同様の温かみと歪んだ生命力が感じられる。ひとつ確かなことは、それが「Sunrise Market」の狂おしくファンキーなグルーヴや、「Slam City Jam」の埃っぽいレイブの記号、飛び上がって肩越し見る光景であっても、それぞれの瞬間が旅であることに違いないということだ。

 空間的な感覚、テクスチャーへのこだわり、そして物理的なゾーンを表現する優れた手腕は、スタジオ/空想と同じくらいに外の世界にいるにもかかわらず、これが真の才能の持ち主の作品であることを示唆している。『Much Less Normal』のジャンルを超えた夢のような国境地帯は、最新性、素朴さ、そして深い審美眼によって分けられている。

 

クラシックなアンビエントの優しく包み込まれる感じと、風の通った清涼感を両立させた気持ちの良いハウス。日本ではフローティングハウスと呼ばれたりもする、浮遊感と爽快感をあわせ持つダンスミュージックの流行を決定的なものにした作品。改めて1080pのカタログを眺めると、今まで、そこまで快適さにフォーカスしてきた訳でもないのに、いきなりこういう作品が出たりするのはおもしろい(Richardの類まれな嗅覚と審美眼のなせる業だろう)。今聴いてもその柔らかな音色と朗らかなフィーリングにはうっとりとさせられてしまう。後にFirecracker Recordingsからも少し内容を変えてリイシューされるが、たしかに曲順についてはそちらのバージョンの方が優れているかもしれない(特に心地よさに全振りした序盤の流れは強力だ)。レーベルのベストリリースのひとつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Auscultation

Auscultation

 

 

 

 

 Joel Shanahanの空を滑るアトモスフェリックシンセの実験は、彼のGolden Donnaプロジェクトの崩壊した豪華さと共に、ここ数年いくつかの異なるフォームを経て変化してきた。ウィスコンシン州マディソンからのメロディーとグルーヴの愛好家の最新作は、1080p初登場の新しいプロジェクト、Auscultationとして、特に夢に満ちた連鎖的領域に到達した。

 新作のホログラフィックでアルペジオ的な旅は、期待に違わず瑞々しく、星空の抽象化と同じくらい多くの内気な地下室/寝室ベースのゾーニングを保持している。Shanahanの宇宙的なセンスとユニークで綿密なシンセシス/サウンドデザインは、鮮やかな色合いのアンビエンスの深く持続的な包囲によって、決定的に勝利を収めていると言える。

 この50分に及ぶハイブリッドなトラックのほぼ全てのレイヤーがメロディックだ;「Ash」のようなトラックでは特に忍耐強く、ゆっくりと大理石模様ののうねりへと発展し、また「Wave Rejection」における前面のコードは特に力強く、感情移入の強い意図を持って振動している。低く重いベースと質感の異なる一連のパーカッションが、迷路のような、また膨張するような感覚を目指してこれらの重層的に鳴り響く7曲を仕上げている。

 Auscultationの動きは、特定のダンスミュージックジャンルの理想の断片に導かれているが、サイケデリックな感覚が圧倒的に優勢だ。ハウス・ミュージックの衰退への見解とドローンやノイズへの情熱を独自に処理することで、イタロと同様にヒプノゴジック・ポップの響きを持つ、霞がかった迷宮のような高みに到達している。

 

音の傾向は大まかにはこの直前のリリースであるLNRDCROYの作品と似通っているが、こちらはより密室的なアンビエンスを纏っており、やや内省的な作風となっている。音の瑞々しさではLNRDCROYに劣るが、アルバム全体での音色やテンション、ムードの統一感はこちらが上回り、アルバム単位でのトリップに向いている。多作なアーティストで、主にこの名義やGolden Donna名義で数多くのEP・アルバムをリリースしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

D. Tiffany

D. Tiffany

 

 

 

 

レーベルの5作目をBobby Drainoと共に手掛けたSophie Sweetlandの新名義でのアルバム。シンプルで基本に忠実なハウスで、曲者揃いだったこれまでのリリースを顧みると逆に意表を突かれるような感じがある。ちょうど真上のAuscultationの作品のように、こちらもサウンド全体に靄のようなフィルターがかけられていて、世界中のベッドルームという新しい巨大なマーケットに対応する姿勢が伺える。シンプルなリズムを組み合わせて巧みに楽曲を展開させていくその手腕には「骨太」や「王道」といった形容がよく似合う。レーベルの作品の中でも最も射程距離の広い作品のひとつだろう。1080pとは袂を分かった彼女だが、Planet Euphoriquetというレーベルを立ち上げたり、Special Guest DJ(aka uon)と共に運営するxpq?にて前衛ダブの実験を推し進めたりと縦横無尽の活躍をしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

Khotin

Hello World

 

 

 

 

 エドモントン出身のDylan Khotin-Footeによる明るく繊細なデイドリームハウス。Khotin名義での1080pデビュー作は、ベッドルームに近いゾーンとクラブ向けのグルーヴの中間に位置している。

 2年前に初めてハウスとテクノの実験に着手して以来、Khotinは大量のハードウェアを用い、穏やかなアシッドとぼやけた、しかし快活なハイブリッドハウスという独自の切り口を洗練させてきた。Roland TR-505、606、707、SH-101、Juno 106、Korg MS-10、Yamaha DX7、そして様々なカシオのキーボードを使用している。

 Khotinの軽快でちりまみれのグルーヴは、ヘビーなテクノの名人への敬意と同時にベッドルーム・ポップ的な感覚を持ち、爽やかなハウスのリズムの上にサンプルを散りばめている。飛行と明るさのルーズなテーマがそれぞれのサイドに自然に流れていく(ライブ録音も混じっている);「Flight Theme」やタイトル曲「Hello World」のようなルーズなハウスドリフターは、優しいボンゴとハイハット、明るい色合いのメロディー(アルバムを通して一貫してキャッチーで、注目ポイントでもある)で浮遊する一方、「Why Don't We Talk」や「Infinity Jam」など重くダークなテクノヒッターは宇宙のハードウェアヴァイヴの独特なテイストを持っている。

 

Khotinの特徴はムードと音色に対する並外れたセンスだ。それが最も発揮されたのが#2「Ghost Story」で、今作から一曲を選ぶとするならばこれになるだろう。楽曲の最初から最後まで一定のメロディーを繰り返す、いわば楽曲の屋台骨のようなパートがあるのだが、その音色の美しいことといったらない。意図的に少し音割れさせているようだが、音割れしてなお美しい……というか音割れによって暖かみを増しているまであるようだ。そして重ねられる子どものリーディング。曲名と合わさりどこか懐かしいような不思議なムードが醸される。また#4「Flight Theme」では中盤でBoards of Canadaを想起させる音色のメロディーが現れる。BOCも雰囲気にフォーカスした小曲を数多く手掛けていたことを思うと、彼の影響元の一つだったのかもしれない。
本作は全編に渡ってこのようにムードにフォーカスしている訳ではない(ムードに関しては次作『New Tab』にて追究される)のだが、しかし音色に関する感性は別で、アルバム全体を明るく彩っている。開放的なクラブと白昼夢のベッドルームを繋げた作品はダンスミュージックのファンのみならずエレクトロニカのファンにも広く訴えるだろう……ということで、見事LNRDCROYに続く人気作となり、同年にFauxpas Musikよりヴァイナルで再発されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

ATM

Xerox

 

 

 

 

 ミドルズブラからニューヨークへ、1080pの最初の契約者であるPerfume AdvertとM/Mのメールのやりとり。それぞれのフォギー/ブロークンダウン・ハウスをブレンドしたディープグルーヴは非常にヘビーでハイブリッドな体験だ。

 

なぜか非常にシンプルな紹介文。このレーベルにおける、霧にぼやけたテクノの二大巨頭のコラボで品質は折り紙付き。音楽性に大きな変化はないがアルバムとしての流れは練られており、特に最終曲「Corridor」のユーフォリックな響きが作品の終わりに華を添えている。抽象的でどこかユーモラスなジャケットも印象的だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Tlaotlon

Ektomists

 

 

 

 

あまりに音楽性が謎のためなにを書いたらいいかわからん……ということで、実はここの文章は一番最後に書いています。楽曲がなにを志向しているのかがわからない。踊らせるわけでも盛り上げるわけでもチルするわけでもない。ただ一定のリズムに乗ってずっとドリフトしているだけ。なんらかの方向性が見出せないために受け手が作品にノレず、そういう意味でポップの範疇にない。ループやらの曲の構造が掴めないんですよ。意味不明でも音が気持ちよければ聴けるけど、別段気持ちいいわけでもないというのが最大の瑕疵か。

 

 

 

 

 

 

 

 

Gobby

Wallet & Cellphone

 

 

 

 

 クラブとアンチ・クラブという仮説の狭間で、フリークアウトしたスイートスポットの最も重要な居住者の一人による、メロディックでふざけたテクノの相互作用が、特にまとまりのある形で表現された作品だ。Gobbyの、あらゆるものを奇妙で異常にファンキーなテクノループにサンプリングする技術は、テクノの純粋主義者のクソみたいな一面と同様に超崇高なトランスの高みを目指しているこの6曲のリリースで特に顕著に示されている。

 Black Diceの歴史上重要なリズムの実験と古典的なアシッドとフリークアウトの間のどこかで、Gobbyのビートはドロドロと鮮明である。『Wallet and Cellphone』にてGobbyは特にハイテンションで、わざと変にしたダンスの難解さではなく、ズタズタな喜びへの欲求を肯定している。

 「Y Smart Car」の循環する喜びは、「MaybeImLying」の泡立つような四つ打ちへと続き、さりげなく跳ねてクラシックなアシッドの空気を震わせる。「Clifford」は、超美麗で星のようなメロディサンプルの下、140bpmの安定したパルスを持つ2分間の目のくらむような浮ついたリフレインで、残響の傷んだ蓄音機バラード、7分間のシャッフルビートの雪崩ゾーンである "XM Whimsy" に完璧につながっている。

 GobbyはMykki BlancoやLe1fのビートをプロデュースしており、最近ではDFAのDan Bodanのリミックスに参加している。『Wallet & Cellphone』はその「Gobbyらしい」、奇妙でありながらも明確で直線的なグルーヴを持った作品に仕上がっている。

 

1080pのカタログの中でも意味のわからないアートワークで目立って(浮いて?)いるニューヨークの異才による作品。内容もアートワーク通りのヘンテコなもので、ジャンルに括ろうにも、例えばミュータント・テクノというような曖昧なジャンルに頼らざるを得ない。特徴としては、アンビエントニューエイジで見られるような持続的な音遣いの少なさからくる軽やかさと、出所不明のサンプリングと奇天烈なサウンドの変調から感じられるユーモアセンスが挙げられる。正直#3「Y Smart Car」と#5「Clifford」以外の曲はほぼほぼおふざけで成り立っているような感じなのだが、それゆえに時たまこういう音が恋しくなったりもするのだ。個人的にその意味不明さと軽やかさによってかなり気に入っているアーティスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

Bobo Eyes

Midnight Pearl

 

 

 

 

浮遊感のあるディスコ調のトラックに物憂げな女性ボーカルが乗る。トラックはかなりスカスカでサウンドもチープ、雰囲気は退廃的で、全体的にItalians Do It Betterを想起させるような作品だ。謎なのはミックスあるいはマスタリングで、いまいちどの音に注目すればいいのかが判然としない。というか本作を聴いているとけっこうな頻度で(ここもっとボーカルはっきり前面に出せばいいのでは?)というようなことを思ってしまうのだ。しかし慣れてくるとこのユルさこそが味のように思えてきたりもする。作品は現在、メンバーの一人であるRegularfantasyのbandcampにて販売されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

Mark Wundercastle

Cell

 

 

 

 

 ニュージーランド出身(現在はメルボルン在住)のMark Wundercastleによる閉所「歓喜」症テクノ。00年代初頭の未来派のヴァイブに彩られた、博識で非常にヘヴィなトラック7曲が収録されている。テック・パラノイアはテクノのダークなバイアスを、遡及的で純粋なリアリティへの深くアップリフティングな旅へと反転させる。

 デトロイトテクノのセカンドウェーブに影響を受け、ニュージーランドのクラブシーンの痕跡と、ノスタルジックで暗いシンセメロディーの領域から這い出る"脱法ドラッグ"のバイブスに汚れている。インターネットカフェでのマラソンのような雰囲気がこのデジタル試験にはあり、深夜のYouTubeの終わりなきスクローリングに熱中している。

 時代遅れの産業的な輝きは、監視やNSA/ソーシャルネットワーク時代の恐怖、ゲーム・マラソンやサイバーカフェといった過去の感覚、そしてクラブへの関心に塗れている。

 『Cell』は積極的にあなたを持ち上げる耐久テストだ。見せかけではない。

 

暗がりで鈍く光る重量級のテクノ。ズシンと響くキックが分かりやすいが、一つ一つの音がヘビーな、非常にパワフルな作品だ。全編アグレッシブなビートで満ちており、その目的は真夜中のクラブを爆撃することだろう。この形容は少し人を選ぶかもしれないが、アーマード・コアのようなゲームのBGMとして使われそうな感じがある。というか一曲目の曲名「AC」ってもしやアーマード・コアのことなのでは……?なんて思ったりもしますが真相は闇の中。とてもかっこいい作品だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

Temple Volant

Daydream Drawings

 

 

 

 

 モントリオールのSami Blanco(以前に1080からリリースしたAT/NUの片割れ)は、『Daydream Drawings』で、最も古典的なリズミックアンビエントの理想を掘り起こした。現在イエローナイフの辺境に住んでいるTemple Volantは、Electribeサンプラーとフィールドレコーディングのコラージュ、アンビエントドローン、ノイジーでリズミカルなテクスチャーとローファイなbath folkでこの60分のカセットを作った。

 Temple Volantは、ファジーで親しみやすいエクスペリメンタルな音響にヘビーなバイブが寄り添う、魂の乗り物である人体へのこの上なく色鮮やかな祝福である。『Daydream Drawings』は特定の方向性を持たずに、広がっていく創造の庭について瞑想している。昨年の冬にモントリオールの冷たい洞窟で録音された。

 Sami Blancoはモントリオール出身のマルチアーティストで、現在はソウルメイトのAshley Dawと共にイエローナイフに住んでいる。Temple Volantはソロ名義で、Nacomi、Nava Luvu、AT/NU、Mi Casa Tu Casaなどの集団プロジェクトの一員でもある。

 

ややインダストリアルな質感のあるエクスペリメンタルなアンビエント。明確な曲調やムードといったものはなく、ただ無機質なサウンドが執拗にループされる。コンセプトとして近いのはおそらくAphex Twin『Selected Ambient Works II』で、あれが工業化されたようなイメージの作品だ。もしくはVladislav Delay『Multila』からテクノ成分を濾過したような。メロディーはほぼなく、一般的なポップスと同じような楽しみ方はできないだろう。人の意識が介在しないような、非常にニッチな領域を攻めた作品だ。(プレスリリースにbath folkという言葉が出てきますが何を指しているのかわかりませんでした)

 

 

 

 

 

 

 

 

Riohv

Moondance

 

 

 

 

 22歳のオタワ出身のプロデューサー、RiohvことBraden Thompsonは、1080pのマントラに完璧に合致する、薄汚れたアシッドハウスと色彩豊かなハイブリッドテクノの極度にぼやけた交差点に行き着く。

 ここ数ヶ月で最も明晰で豊かなサウンドクラウドでの遭遇の1つである彼のデビュー作『Moondance』は、長く、風通しの良いパッドと、朦朧とした静謐なハイブリッドエレクトロニックムードを提供し、それはかすかに機能不全な自家製のローファイとダンスフロア向けの初期アシッドの反射の間をたゆたっている。

 『Moondance』は、腰を据えて聴きたい作品だ。本作の大部分を支える、安定しつつもファジーな4分の4拍子と、ゆったりとした細切れのシンセメロディーが、ベッドルームベースのトラックを宇宙やアフターアワーに送り出してくれる。

 最近1080pに加入したKhotinやD. Tiffany(そしてインターネットの友人たち)と多くの白昼夢のような類似性を持ち、併せてクラシックなダンスミュージックモードと実験的なポップやドローンを組み合わせるという点で同様の理想も持ち、またその過程でジャンルを容易に飛び越えている。

 アルバムのクローズである「Untitled (Outro)」まで、Riohvのミッション・ステートメントは完全には語られていない。;テープに録音された花火を背景に、多幸感溢れるヨロヨロのシンセサイザーが、『Moondance』の全体に見られるような不鮮明な誠実さをもって彷徨い歩くのである。

 

リファレンスにKhotinやD. Tiffanyの名前が挙げられることにも頷ける、暖かく柔らかなハウス。1曲目の「Just Relax (Downtown Mix)」が流れ出せば、たちまちにだれもがアフターアワーの開放的な気分になるだろう(曲名がストレートに音楽性を表している)。角の取れた丸いサウンドと安定的なビートにより、例えばDialやSmallvilleといったレーベルの作品とも共振するような内容である。クラブとベッドルームの両方を完全にカバーする音楽性は広い層に支持されるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

Via App

Dangerous Game

 

 

 

 

ニューヨークのDylan Scheerによるレフトフィールドなテクノ。作中でGobbyと共演していることから察せられるように、サウンドや曲展開にはジャンクでワイルドなところがある。#5「I Came to Win」では中盤から徐々にテンションを上げていき、やがて遠くからやってきた「I Came to Win」というボイスサンプルがクレイジーに暴れ回る。#10「Fuq Wave Arena」では狂騒的な歓声が聞こえたりと全体に振り切れたフリーキーさが特徴だ。ゲットーのような雰囲気も立ち昇る、その名の通り「危険な」テクノ作品だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Babe Rainbow

Music For 1 Piano, 2 Pianos & More Pianos

 

 

 

 LANDRの協力によるスペシャルリマスター版!

 "ポピュラー音楽に対する(Brian Enoの)最大の貢献を選ぶとしたら、ミュージシャンは何をしているのかわからないときに最高の仕事をするという考えだろう。" - Sasha Frere-Jones、Brian Enoについて(『Ambient Genius』7月7日号)

 これはBabe Rainbow(通称Cameron Reed)が心から信じていることだ。彼は、何年か前にBabe Rainbowを始めるまではあまりエレクトロニック・ミュージックを作っておらず、その後すぐにWarpと契約した。それ以前は、バンクーバーで角ばったパンク・ミュージックを作っていた。

 この12曲はそれぞれ、今ではおなじみのReedの明晰なエレクトロニカ・モードで構成されている。ピアノだけの編成に戻すと、Phillip Glass、Erik Satie、Terry Riley、Keith Fullerton Whitman、Nils Frahmからの影響の上に、結晶的で傾いだ瞑想が浮かび上がる。

 2012年にHow To Dress Wellのツアーに参加するまでは、時折ピアノを弾く程度で、本格的に弾いたことはなかった。そして演奏に十分に慣れたとき、彼は作曲を始めた。それは無限の可能性を秘めた新しい挑戦となった。1つの楽器の制限に感謝し、その広大な可能性を持つ電子音楽を制作する経験を並列させる。

 Babe Rainbowのカセットとデジタルによる1080pのデビュー作は、彼の主なエレクトロニック作品と並行して作られた驚くべきものだが、それはまたカジュアルな実験とジャンルの探求のためのスペースとして、レーベルの理念と密接に結びついている。

 「私はピアノ奏者でもなければ、訓練を受けているわけでもない。ただ、探求したいアイデアをたくさん持っている音楽家なんだ。洗練されていない、まさにあるべき姿なんだ。すべてが探求のしがいがある。何も消し去ることはできない。私はそれが好きだ、あなたもそうであってほしい。」

 

タイトル通りの作品で、特に深いコメントはない。100%純粋なピアノ作品という訳ではなく、加工したサウンドやフィールドレコーディングなども入っている(そもそもデフォルトのトーンにかなりのアンビエンスが入っている)。メロディーもしっかりあり、イージーリスニングとしても機能するくらいに聴きやすい作品だ。全体的な雰囲気はやや寂し気で、時には沈痛なムードも浮かび上がる。Nils Frahmなど、プレスリリースにて挙げられたアーティストなどが好きな人なら楽しめるだろう。「Car Ambient」と題された楽曲が3つあり、タグにも「car music」とあるが、これらがどういうものを示しているのかはわからない。レーベルの音楽性はさらに拡散していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

OOBE

Digitalisea

 

 

 

 

 トリノ在住のプロデューサー、OOBEことYari Malaspinaは、昨年Opal Tapesからリリースされたカセット『SFTCR』に続き、より明確に定義され、ユニークにデジタル化されたアンビエントエレクトロニカへのアプローチを推し進めている。

 スローなレイヴリズムに乗せたメランコリーなエコーにたたずむ『Digitalisea』は、スターゲイトから発掘されたプラネットスケープとガス状の、電子化されたdigi-psychにゆっくりと移行する、重く芝居がかったセットである。OOBEは、アンビエント・テクノと古典的な90年代のユーフォリアの両方の技法を超シンセティックに扱うことで、両者の断片を繊細だがリズミカルなアンビエンスの、彼独自の不定形で濃いぼやけに再編し、加工してピクセル化したHuerco S.と鮮明に歪んだSF版Actressの間のようなものを生み出している。

 『Digitalisea』は、『SFTCR』を特徴づける幽霊的な遠いクラブの響きと同様に、最近のディストロイディアンやポストインターネットの輝きの表面下にあるグリッチを調査している。そのままに真っ暗なのか、太陽に焦がされたのかは定かではないが、閉所恐怖症の支配下で常に至福の時を過ごすことができる。

 

ヴェイパーウェイヴやポストインターネットといったタームを想起させるジャケットイメージが印象的な作品。例えばDrexciyaTwo Lone Swordsmenのようなダークで深海を思わせるサウンドで、ActressやHuerco S.のような茫漠として焦点の定まらないテクノを作り直したかのような音楽性だ。雰囲気は暗くどんよりとしていて、そういう意味では「曇り空の海」を写したジャケットはピッタリと言える。無機的で不気味な楽曲が並ぶ中で、#4「Deep Space Lover」#8「Digital Sea」というビートレスなトラックではSF的で浮遊感のあるサウンドスケープが描かれる。深海と宇宙はイメージ的にかなり通じるところがあるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Dan Bodan

Soft

 

 

 

 

 「自分が知っていることを書くけれども、それは他人には面白いものでなければならない。だから、本当に素晴らしい作品にしたい。実話小説か、お姉さんの日記を読むような。」- Dan Bodan

 Dan Bodanのニューアルバム『Soft』は、ミレニアル世代の恋愛問題、サウンドクラウドのコラージュ、ポスト帝国時代のパラノイアを通り抜ける、バラの香りのするジャーニーだ。Physical TherapyとVille Haimala (Renaissance Man)との共同制作で、M.E.S.H., 18+, Great Skin, Latisha Faulkner, Dena Yago, Stadiumをフィーチャーしている。

 ベルリンを拠点とするソングライター、Dan Bodanは、カナダの広大な草原で生まれ、モントリオールで育った。モントリオールアンダーグラウンドなノイズや実験音楽のシーンで育ったBodanは、8年前にベルリンに移住した。崩れかけた旧世界のヨーロッパの価値観、新興企業の慈善活動、眠れないテクノ、壮大な灰色の空など、この街独特の混合物の中で開花した彼は、街を走る列車のサウンドトラックとして、またそれらすべてを理解するために曲を書き始めた。

 世界的なプロデューサー、詩人、アーティストのチームと協力し、指とマウスパッド、ベッドルームとクラブ、地球とエーテルの間にある空間に心地よくフィットする曲を書いている。

「彼はビートの上に甘い守護天使のように吹き込み、暗いナイトクラブに差し込む日光のように感じるほど軽やかなトラックを作る」- The Fader

「真の主役は彼の声であり、それはそれぞれのラインを通して上下するように震え、力強く、しかし少し壊れやすい」- Resident Advisor 

 

柔らかく親密なR&B。RAも指摘している通り、本作の一番の肝はBodanのシルクのような柔らかさを持つボーカルだ。とはいえトラックのレベルが低いということもなく、全体としてメジャーレーベルからのリリースにも全く劣らないクオリティの作品である。時代的にも音楽性的にも近いのはHow To Dress Wellで、そこからゴーストリーな音響や雰囲気を薄めて、人肌近くまで温めたかのような音楽だ。これはかなり実感を伴っているのですが、普段インストの作品を中心にリリースしている中で、ここまでボーカルにフォーカスした作品がポッと投げ込まれるとそれだけでかなり印象に残ってしまいます。DFA関係ゆえなのかもしれないが、M.E.S.H.や18+、後にAmnesia Scannerとしても活躍するVille Haimalahaなど、1080pからのリリースはないが界隈で人気なアーティストが集っており、そういう意味でも象徴的なリリースと言えるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

Angel 1

Allegra Bin 1

 

 

 

 

 ロサンゼルスを拠点とするプロデューサーAngel 1の最新のユニークな可塑性の爆発は、クラシックなアンビエントエレクトロニカと広々としたフューチャー・クラブの理想との中間点を探求している。1080pからのデビュー作『Allegra Bin 1』は一歩外に出ている;様々なレベルのコミュニケーションやドラマがある街中を移動しながら起こる一定の展開、いつ当たるかわからないメッセージや記号の解釈、そしてその過程で非常にバズること。

 Angel 1は、インターネットを通じた文化的な露出と、ロサンゼルスを歩き回った他の経験とのバランスを取りながら作曲をする。このトランジションとハイパーなジャンルシフトは、楽園のようなシンセサイザーの開花、鮮やかな一面の草原描画、ショッピングネットワークの静寂なヴァイブという形で表現され、広々として滑らかなクラブの断片が浸透し、突然ソウルなドラムとベースのロールアウトで中断される。

 結果として、半ば色あせたシンセティック/デジタル・サイケデリアが徐々に、しかし狂おしいほど大胆に姿を現し、豊かに囀るシンセの質感は、00年代初期のIDMや、インターネットやクラブで行われた最近の先鋭的なジャンル実験を思わせる。Angel 1は、ガラス質のクラブミュージックとでっち上げられたデジタル有機体をより催眠的な領域に位置づけ、ベースミュージックとドリルのリズムを7曲にわたって分解し、ロサンゼルスらしい夜の導きと至福の黒点地帯の簡潔で快活なEPに仕上げている。

「2008」は、トランスとテクノの幽霊的な思い出の鮮明な回顧と、ヒグラシの大音声の壁の間を文字通り漂うような、完璧な仮説だ。「One Wish - Shah」は、ジャングルのリズムと浮遊するヴェイパーウェイヴのサウンドが交差するあからさまなもの。「Shrubb」のうつむいた熱帯のイメージはBoy Snacks名義での前作を彷彿とさせる。

 ソフトで示唆に富む『Allegra Bin 1』は、ストリートと自宅のコンピューターから、あらゆる地域の感情情報を拾い上げている。

 

この作品に関しては個人的に思い入れがあり、ブログにてかなりの文字数を割いて語っているのでぜひそちらを参照してほしい(https://muimix.hatenablog.com/entry/20180522/1526978085)。端的に言えばソングライティングを相当突き詰めた作品であるということ。ループをどこまで繰り返すか、あるいは繰り返さないか、主題をどこでどのように提示するか、またその再現は、というようなことが考え抜かれた作品だ。アブストラクトな楽曲もあるが、精緻に組まれた楽曲の出来はすさまじいものがある。本作のサウンドをより刺激的なサンプルに置き換えるとGiant Claw『Dark Web』のようになるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

Magic Fades

Push Thru

 

 

 

 

 Magic FadesことMike GrabarekとJeremy Scottによる柔らかくテクニカルな動きは、崩壊後のインターネットと、フューチャーベース/クラブ、トップ40ポップ、ドリルの間の不定形の領域をナビゲートし、R&Bへの合成的で腹話術的なアプローチを行う。

 ポートランドを拠点とするこのプロダクション・デュオは、超鮮明HDのプロダクションと、誠実さ、柔らかさ、心のこもったリアルさのバランスに焦点を当て、記号をつかむ適性とリッチでダイナミックなプロダクションで全編を構成している。

 『Push Thru』は、現代のアメリカのラジオの時代精神に触れており、2014年のSoul Ipsumとのコラボレーション作品『Zirconia Reign 』に見られたものよりも、より直接的で大胆な磁器やネオンの深夜の感情で彼ら自身の美学を行使している。それ以来、彼らは他のアーティスト/MCのための一連のリミックスやプロダクションにも取り組み、スタジオでの手腕と、それらのラジオ・ヒットや、よりインターネット由来のサウンドやビジュアルを解釈する方法を柔軟にしている。

 Alexander O'Neillタイプの官能的なファンクがサイボーグ化したMagic Fadesの「IDGAFAM」は、「Industry」や「Midnight Temptations」のようなFXとパーカッションの運動に触発されたフューチャークラブの多様な集合体に比べ、比較的シンプルな作品である。「Ecco」では、(ジョー・)サトリアーニのような(あるいは1974年の "Baby's on Fire "のロバート・フリップのような)エレキギターのソロが、まるで想像を絶する硬さの花こう岩から削り出したかのように、高らかに響き渡る。

 また、「Draped Mesh」では、天使のようなフルートとハープのアルペジオが海の波のサンプルの中を漂うが、重いメロディの旋回と非常に深いフックは彼らの冷たくも繊細な感性——ユーモアがありながらも洗練された大理石の真摯さで磨かれている。

 

Soul Ipsumと組んだ『Zirconia Reign』と比べるとぐっとボーカルの比重が増え、正しくR&Bのアルバムとなった。ジャケットイメージから察せられるが、全体的なサウンドのサイバーな質感は変わっていない。曲調はかなりメインストリームの音楽に寄せられているようで……個人的には苦手なタイプで、コメントに困っています。翌年にはセルフリリースで本作のリミックス盤が出ており、そこではVektroidやKarmellozといった、Magic Fadesの拠点であるポートランドにゆかりのある豪華なアーティストが作品を寄せている。

 

 

 

 

 

 

 

 

Mongo Skato

I Don't Give It

 

 

 

 

ニュージーランドのThomas Richardsによるフレッシュなシカゴハウス。解像度の低いジャケットイメージや変調されたボーカルサンプルからはヴェイパーウェイヴのようなイメージも沸くが、それ以外のサウンドや曲調、やや早めのテンポからはワイルドなストリートの空気が立ちのぼっている。#2「Flythrua」では熱狂的なビートがジューク/フットワークの領域を果敢に開拓している。レーベル一作目の「Home Remedies」を思い出すファンキーな一作だ。(bandcampページはないがYouTubeで視聴できます。)

 

 

 

 

 

 

 

 

Moon B

Lifeworld

 

 

 

 

 Moon Bの最新作で1080pのデビュー作「Lifeworld」では、荒く刻まれた亜大陸の映画の聴覚上のモチーフがその他のゆるみと対になっている。PPUのリリースからしばらく間を置いて、Wes Grayが彼の独特な埃っぽいグルーヴィーなサンプルにフォーカスしたシンセファンクを再配置して戻ってきた。

 Grayはレトロフューチャリズムという彼特有のスイートスポットを目指しており、『Lifeworld」における古代から現代のGファンクの間の移行は、非常にリッチで映画的なムードと難解さよりも温かみと誠実さに浸るための一般的なコツが役に立っている。

 Delroy Edwardの"Slowed Down Funk"テープシリーズにインスパイアされ、ミックステープというフォーマットを使い、フリーキーで重厚なおまけのシンセのオーバーレイ、部分的に汚れているがベルベットのような質感、メンフィスのビールストリートを歩いているかと思うと次の瞬間にはチェンナイで蒸気機関車に乗っているかのような多くのムードが溢れている。

 『Lifeworld』にはGamesのスローテンポでスクリューの効いたサンプルのような雰囲気が残っている。もしそうなら、彼のオリジナルグルーヴと同じようなシロップのような意味合いと共に、アナログシンセのオーバーレイのただ中に南アジアの映画のクリップをループさせる(前回のミックステープ作品『Any Questions』と同様、より質感とヴァイブの異なるソースにエッジを加えている。

 2014年10月、ロサンゼルスにてMoon Bがコンセプトとトラックメイキングを担当。"Stuff a stocking wid it!"(ストッキングに詰め込んでね)。

 

レーベルでは珍しい、A面B面に15分弱のマテリアルを詰め込んだ(曲分割されていない)ミックステープ形式の作品。ローファイでユルいシンセファンクにエキゾチックなサンプルをまぶした音楽性で、まるで夜にアジア諸国の街角を散歩している……映像を画面越しに眺めているかのような雰囲気がある。正直に言えばかなりうさん臭い空気で、そういう意味ではヴェイパーウェイヴにも通じる部分がある。しかしこの良い意味でのユルさが夜のリラックスした時間にフィットするのだ。同年にPeoples Potential Unlimitedというレーベルからも作品を出しているが、そちらではより演奏にフォーカスしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

Young Braised

Northern Reflections

 

 

 

 

 ブリティッシュコロンビア州バンクーバーを拠点とするラッパーYoung Braisedの1080p第2弾『Northern Reflections』は、太平洋岸北西部にインスパイアされた36分間のヒップホップ作品で、西海岸のコラボレーターKarmellozとa i r s p o r t sによる物憂げで抽象的な制作を通して、彼独特の新しい感覚が浮かび上がっている。

 これらの穏やかで流動的な陶酔は、昨年の『Japanese Tendencies』に見られる楽観的で斜に構えたリリックのイメージで、同様に彩度が高くメロディアス。ユーモアと優しさの間を行き来しながら、伝統的なラップの手法にとらわれず、芸術的な手法(特に婚約者ソレダ・ミュオズとのライブパフォーマンス)を取り入れることに重点を置き、Braisedは明晰でハイブリッド、ジャンルの混在した活動をさらに続けている。

 昨年冬、ニューヨークとモントリオールで一時滞在した後、常に進化し続けるアーティストが、西海岸の生活への感謝を新たにした1年分の録音を収録した作品集。最近の婚約、高校への進学、バンクーバーのハウス/テクノ・シーンとのつながりの強化によって、さらに進化を続けている。

 Braised(本名Jaymes Bowman)の静かで実存的な思考は、沈んだテクスチャーと気化したシンセのドリフトと組み合わされ、バンクーバーのガラスの高層ビル群と近隣の山脈を背景に、男性性、共犯関係、食べ物についての概念を探求している。 『Northern Reflections』は、コラボレーションと自己啓発の両方の例。超リアルで、リサーチとエンターテイメントが同居するこのクリスマス・リリースは、リスナーだけでなく、Young Braised自身へのギフトでもある。

 カセット版には、フィジカルオンリーのボーナストラック「Still Tippin 2014 (F. Strawberry Jacuzzi)』と『Outside the Club (Freestyle)」が収録されている。

 

前作の、コメントに困るうさん臭さのジャケットから一転して超抽象的なジャケットへ。同時に音楽性も霞に包まれたぼやけたものへと変化した。AMDISCSからIDMとヴェイパーウェイヴを混ぜ込んだハイブリッドなテクノをリリースしていたa i r s p o r t sと、1080P12を手掛けたKarmellozをプロダクションに迎えたトラックは、まるでCO2のスモークのようにひんやりと足元を漂っている。ラップの弛緩した感じは変わらないが、ミックスのおかげか以前よりもトラックに馴染んでいる。結局歌詞がわからなければ作品を正しく評価することはできないのだが、曲名や曲調からするに哲学的な内容なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

Neu Balance

Rubber Sole

 

 

 

 

 バンクーバーのスタジオヘッド、Neu Balanceは、太平洋岸北西部の空気を深く吸い込み、合成的で遊び心のある、ねじれたホリスティックなハイブリッドハウスとアンビエントエレクトロニカのデビュー作を吐き出す。

 『Rubber Sole』は、退屈ありながら瑞々しいミニマリズムから、彼らのライブでも見られるような飛び抜けたマキシマリズムへと移行していく。またこの曲は、ある種の黙示録的な、あからさまにフィルターにかけられ、加工され、全体的に重いシンセのレイヤーと部分的に解体されたビートから、明るい自然主義/牧歌趣味へとぼやけていく。

 彼らの名前は、バランス、二元性、クッションといった概念を揶揄したようなものだが、『Rubber Sole』は、超鮮明なデジタルアンビエンスの様式化された洗浄と対立する、過剰にカスタマイズされた記号を駆使して製作、組み立てられたアクセス可能なハウスを通して、バランスの閾値を誠実に探求しているのだ。

 「Guu Yuu」のようなダイレクトでダンスフロア向けのトラックから、「trsx moon」のようなヘッドフォン向けのトラックまで、音色の二面性はあるが、総じてソフトでクッション性のあるタッチが全編に渡って流れている。また、より緩やかな「Get Up」では、これらの相反する要素が集約され、95bpmの揺れを伴うこのカセットの最も奇妙な瞬間の1つとなった。

 Plays:fourのSam BeatchとSebastian Davidsonの2人によるこのアルバムでは、微妙なフィールドレコーディング、ピッチダウン(またはアップ)したボーカル、実体のないギアのブリープ、長くは続かない夢幻的なキーボードメロディなど、呪術的な理想に基づいたいくつかの修正を経て、クリーンで複雑なサイケデリアにつながる相互演奏を行っており、探索的で不気味な作品も多く見られる。

 

某運動靴メーカーを彷彿とさせる名前が印象的なユニットのデビュー作。細やかで瑞々しいサウンドグリッチエレクトロニカ~ハウス。作品を特徴づけているのは何よりも純粋な音色の探求で、その軽やかでころころとした音色からはMouse On MarsやNuno Canavarroといったアーティストが浮かぶ。というか後者(『Plux Quba』)にダンス向きの曲構造を組み込んだような作品だ。楽曲にはややアブストラクトなところもあるが、そういう点も含めてまさに「音で遊んでいる」感じがあり、好感が持てる。綺麗な音色の輝きに触れたい人におすすめな、個人的にも「推し」の作品。

 

 

 

 

 

 

 

 

MCFERRDOG

Lawd Forgive Me

 

 

 

 

 NYのボサノバ(Bossa Nova Civic Club)の常連でチャイナタウンの住人であるMax McFerrenが、彼独特のユーフォリアとハイブリッドテクノで1080pに帰ってきた『Lawd Forgive Me』。

 MCFERRDOGは、子供のような喜び、シンセサイザー、大きなベース、奇妙なハウスの記号を持つステディフロア/4テクノの彼のスタイルに影響を与え、大人の経験と非常に誠実な感情のピークに貴重な瞬間を求めて、ダンスミュージックにおける身近で懐かしいものを利用して、ピークと非常に美しいメロディ空間に分けられた1時間のリリースで超自信作を披露した。

 MCFERRDOGは、エレクトロニックミュージックの徹底したポストアイロニックモードで、啓示と美の瞬間を追求している。ディープハウス、クラブ、レトロテクノなど、ありそうでなかった、しばしばチープなモチーフを取り入れながら、McFerrenはソーシャルメディアプリズンの内側から、宗教の誤った回帰のような失望を探り、無謀な若さにさよならを告げ、逃避を詫びているのだ。

 オープニングトラックの「Bless This Mess」は、レイブの解体されたバイブスに遊び心のあるピアノのメロディとグライムから拝借した砕けた静的なFXを組み合わせて、至福に浸るための純粋な構築物だ。このアルバムには、ハイパーでアップダウンが激しいヴォーカルの断片や、奇妙にずれたテクスチャーが散りばめられている。「What Justifiable Confidence!」では、ビートとして貼り付けられた0.5秒のヴォーカルの繰り返しから始まり、ピークアウトしたシンセの波が始まる。

 『Lawd Forgive Me』はメロドラマと形容され、その強力な一連の物語は、ブラウザのタブのように素早く感情を動かし、迷子になり、最終的には参加と奇妙さの両方に平和を見出すのだ。

 

絶好調なMCFERRDOGの9ヶ月ぶり2nd。相変わらずはっちゃけた内容だが、前作よりもメロディーの要素がほんの少し後退し、よりクラブフレンドリーになっている。サンプリングの増加に合わせ、よりリズムにフォーカスした直感的な作風に変化している。メロディーを線に例えるとしたらサンプリングは(大小さまざまな)点で、基本的な構成要素が小さくなったためリズムもまた込み入ったものになっている。これが行き着くところはグリッチかジューク/フットワークだが、本作はどちらかと言えば後者に寄っていると言えるだろう(ほぼリズムだけで聴かせる#7「Chapped」が象徴的だ)。DJに使いやすくなったとはいえまだまだフリーキーな部分は健在で、収録曲をうまく使うことができれば現場は大盛り上がり間違いなしだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

Friendly Chemist

Touch Of Jupiter

 

 

 

 

 バンクーバーのアフターアワーズクラブシーンで最近注目されているFriendly Chemist aka Jean Brazeauによる、生々しく魅惑的で重厚なメロディックハードウェアダンス。彼のデビュー作『Touch of Jupiter』は、パシフィック・ノースウエストから直送され、90年代中後期のハウスとガレージのクラシックな要素を、天空的で暖かく感傷的にしたものに滲ませている。

 Touch of Jupiterの遠く夢のような人工性は、ジャッキでエネルギッシュなクラブへの暖かいノスタルジアを、独特な自家製テクスチャーとヒプノグラフィックな地形にリンクさせ、呼吸するパッド、猛烈なアシッドベースライン、大量のクラップ、しゃがれ声のMS-20ベースラインとDX7ビブラフォンのメロディに満ちた彼のライブハードウェアセットの高いエネルギーとつながっている。

 クラシックピアノの訓練を受けており、古代の、しかし未来的なイメージの幻覚的なセット、すなわち、沼地、王国、新しい惑星、ミスト、タロットカード....そして、一般的に曖昧な神秘主義の雰囲気の意味合いであるBrazeauは、ジャズフュージョンサックスのような幅広いミディサウンドによって運ばれる調和構造に重点を置く。「Visions From Yesterday (Saxy Mix)」や、「Trying 2 Find U」のキーボードソロは、「Queen of Swords」のファンタジーなリードに比べ比較的繊細で、ジャンプして太くて歪んだ音になっている。

 

まるで90年代に戻ったかのような、伝統的なスタイルのディープハウス。一つ一つの音色が時代を思い起こさせるもので、ジャンルに馴染んだ聴き手ならなんの抵抗もなく楽しむことができるだろう。浮遊感のあるコードに蜃気楼のように揺らめくウワモノ。「Mist/Haze」というまんまな名前の楽曲で幕を下ろすアルバムは、木星がガスを主成分としていることを示唆しているのだろうか。ジャンル的にヴァイナルでのリリースが似合う作品であり、Discogsのページではリイシューを望むコメントが散見される。

 

 

 

 

 

 

 

 

Project Pablo

I Want To Believe

 

 

 

 

 バンクーバー出身のプロデューサー、Patrick Holland aka Project Pabloのハウスミュージックは、この秋にモントリオールに移住して初めてリリースされたデビューフルレングスで、爽やかで、ベーシックに回帰したものとなっている。

 『I Want To Believe』は、リトル・イタリーを青く染めて歩く。つまり、George BensonSadeSteely Dan(『Aja』)のような超リアルなタイプのスムースさにインスパイアされた、チャンキーなディスコとハイブリッドハウスが、カフェカルチャー的なグルーブハウスを新しく誠実な文脈に置き換えた作品だ。

 Project Pabloの明るく深いイージーリスニングは、力強いがゆるいパーカッション、重厚なベースグルーヴ(モントリオールのバンドNoni WoのJeremy Dabrowskiが一部を担当)、非常にキャッチーで口笛が似合うメロディフックによって構築されている。例えば、オープニングの「Sky Lounge」では、ディスコ風の4/4拍子で残響のあるシンセサイザーがフェードし、「In The Mat」では、シャッフルしたテンポにヴォーカルの「woop」が散りばめられ、ダウンタイムには瞑想的な漂いがある。

 ソリッドで機能的なダンス・コンポーネントに焦点を当てた『I Want To Believe』は、テープアウトした奇妙なシンセリードが散りばめられ、随所にカスケードパーカッションとメロディックキーボードがたゆたうカプチーノクリンクに似たおふざけがあり、「ライフスタイル」の理想像が、クラブやキッチンで過ごすための豊かでテープアウトしたムードに溶け込んでいる。

 

爽やかな青色のジャケットと、その見た目を裏切らない快適で安定したハウスという音楽性で、「バンクーバー=浮遊感のあるハウス」というようなイメージの定着に一役買っている作品。まず1曲目の曲名を見てほしい。「Sky Lounge」ですよ。曲名からして気持ちいいことが確定している。これは自分も含めた話ですが、1080pのパブリックイメージの中心的なものっておそらくこういう快適で爽やかなエレクトリックサウンドであって、またこれがラウンジや、もう少しパーソナルなリビングルームのような空間にフィットしたからこそレーベルがこれだけ人気になったのだと思う。とはいえこれって10年代のインディーにおける全体的な傾向のひとつであり、そこから逸脱するにはまたさらに独自の個性が必要になるのだとは思うが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

Junior Loves, Scientific Dreamz Of U

The Dreamcode

 

 

 

 気心の知れたJunior LovesとScientific Dreamz of Uが、情熱と優しさ、そして2つのマインドの穏やかな合流によって構成されたビジョンとエネルギーの祖先の記憶「kestrel sound」への神聖なる通路を提供する。

 このスプリットカセットとデジタルリリースは、航海的で暗く宇宙的な臨場感、エレクトロ、テクノのハイブリッドという、より広いコンセプトを共有するNTSショー「kestrel explorations」をホストしている。彼らのこの非常に特殊なセーガン的エレクトロニカの領域への取り組みは、ある種の古代性と神秘主義を振り返ることに加えて、忍耐と旅情に対する狂気の耳を持ち前進もしている。

 このテープは、その優雅さと落ち着きにおいて無限であるチョウゲンボウの壮大な飛行の個人的な解釈を表している。この2つのスピリット・ガイドは、それぞれ異なる道へと導いてくれるが、目的地を共有することで一体となり、それぞれが魂に栄養を与えてくれる。

 Scientific Dreamz of Uが宇宙の奥深くへと向かって、アストラルな、そして時にはインダストリアルなテクノのメカニックを伴ってスパイラルする前に、Junior Loves は、30分にわたるギター主体のゾーン、ねじれた白昼夢と宇宙時代の瞑想、トリップホップを経てダークテクノへの移動から、『The Dreamcode』を始める。

 『The Dreamcode』は、リスナーがリラックスしたアルファ波的な精神状態で聴き、この旅で私たちと共に成長するよう、眼前にある儀式のオブジェクトに(あるいは、ローカルロジックシステム内の低エントロピー磁気状態として)結晶化するよう呼びかけている。

 

電子音ばかり聴いてきたのでギターの音色が聴こえてきた瞬間に(新鮮!)と感じてしまった(ギターっぽい音色が出てくるのはInfiniti『 M30』以来だろうか)。基本的な音楽性はやや抽象的な、ダークで攻撃的なテクノで、1曲目の不穏な雰囲気がそのまま全編を覆っている。だが冒頭のギターで示されたとおり、時にはバンドサウンド、また時にはインダストリアルと、なかなか多彩な音楽性を備えている。はじめの3曲はおそらくアルバムの導入部で、ゆっくりと聴き手を不安な空気で包み込んでいく。お経のような呪術的なボーカルがいい感じに不気味だ。アルバムはそこから暗く荒涼とした世界観とスピリチュアルな世界観とを行き来し始める。共通するのは過剰にシリアスなトーンで、聴いていると自分がまるでディストピアの住人になったかのような気がしてくる。最後はまたニューウェーブ調のバンドサウンドで締めるのだが、作品の最初と最後に人間味のあるサウンドを配置していることにはある種の美学の存在を感じる。独自の世界観が細部まで作り込まれたコンセプトアルバムで、レーベルでも屈指の力作だ。