崩壊の美学

 メモです。

 

 

 

 『Heroin』、『The Disintegration Loops』、『Endless Summer』って共通する美学を持っているよね、という話。他の場所で語られているかはわかりませんが、自分的にはかなり大きな整理だったので、一応記事としても残しておく。

 これらはどれも年代が近い(2001~2002)ので……時代感覚を掴む上でもセットで体験するのは有用そう。

 

 ↓一応、自分の書いた参考記事。これを書いたときはまだHeroinは聴いたことがなかった。

『ポップミュージックガイド 00年代スタンダード編』Web版 2000年~2004年の作品 - ヨーグルトーン

 

 

 上記3作よりも早くこの美学をはっきりと形にしたものとしてはOval『94 Diskont』がある(1995年リリース)。ベースとなる楽曲というかループがあり、それのテクスチャーにランダムに乱れを発生させて音楽的な味とする。「Do While」と「Disintegration Loops」はやってることはマジで近いと思う。ただ、Do Whileの方が少し曲の展開というか作為があってほんのりポップ。Disintegration Loopsはもう少し潔癖というか混じり気のない崩壊を捉えていて、サウンドの崩壊が一方的かつ不可逆。壊れたらそのまんまで治ることがない=崩壊以外の加工がない。Disintegration Loopsは終盤ぼろぼろになっているけど、Do Whileは終盤でも普通に元の形を維持してるので……だからまあ、『94 Diskont』は別段崩壊をテーマとしているわけではなくて、ただグリッチの活用法を追究していただけなんだろう。とはいえ崩壊のおもしろさには完全に自覚的だし、それを押し出した作風になっている。……いや、テーマにしてるけど、ただそこまで潔癖じゃないってだけか。ポップさも同時に追究されている。

 完全に横道だった。話を戻して……そこからの流れで、(崩壊の一種としての)グリッチに注目し、その手法/テクスチャーを流行までさせたのが2000年の『Clicks & Cuts』なのかな(『94~』と同じくMille Plateauxから)。

 

 グリッチに限らない、より大きな概念としての劣化は、それこそ録音技術が生まれたときから作品の中に登場してはいるんだと思うけど、しかしそれをおもしろく感じ始めたのは、ポジティブに捉えるようになったのはいったいいつからなんだろう。別に壊れたものをおもしろがる感性自体はかなり一般的なものな気がするけど……喉がめちゃ枯れるとか、その程度のことでもおもしろかったりするし。

 

 ……またなんかごちゃごちゃ考え始めた。崩壊って「元のすがた」を知っているからこそ認識できるもので。だから元のすがたが提示されないものはただのおもしろい音・おもしろい曲だよな、という。崩壊を認識させるには崩壊する前のすがたを提示しないといけない。

 そうするとループってのは崩壊を表現するのに最低限必要なものなのかもしれない。ループなしで崩壊を認識しちゃった場合は……その人がそれ以前に別の作品で元のすがたと思われるものに触れていたのだろう。これは受け手側からすればメタ的な認知だし、作り手側からすればメタ的な表現と言えるかもしれない。ひとつの作品内の話に留まらなくなるので。もちろん無自覚でやってる場合もあるだろうけど。今おれが作ったこの音おもしろくない!?→その音をおもしろく感じるのはそれ以前にこういう音を聴いていたからでは?みたいな。

 

 ごちゃごちゃしてきた。まだ書きたいことがあって、それは崩壊のおもしろさのキモは無意識レベルで元のすがたを想像させること、つまり想像力を喚起することにあるのでは?ということ。まず崩壊した様それ自体のおもしろさがありつつ、それに加えて並列で、同時進行で想像力も喚起する。その分おもしろさが底上げされる、みたいな。懐古方面のおもしろさというか味もありそうだが。

 

 あーこんなとりとめなく書くつもりはなかった。ツイート貼ってそれで終わりにしてもよかったですね。終わり申す。