はじめに、これは個人的に考えたことでそれ以上でも以下でもなく、正解とか不正解とかそういう話ではないです。そして自分は音楽や哲学の専門家でもなんでもないのでよろしく。
自分のいままでの経験から、音楽には「わかる」「わからない」が明確に存在すると思っていた。はじめは良いとは思えなかった音楽がいつしか良く思えるようになる(&なにを良いと感じているのかある程度言語化できるようになる)、という経験を何度かしてきていたので。
しかし、最近ツイッターというかXでこういう呟きを見かけた。
小説は音楽だと思えばよくて、音楽にわかるもわからないもない。
— 千葉雅也 Masaya Chiba (@masayachiba) October 19, 2023
個人的に(よく考えられたことを呟いているな)と思っていた人がこのような呟きをしたので、少し驚き、もう一度「音楽はわかるものなのか」考えてみた。(ちなみに著書は読んだことがない)
そして思い至ったのが以下。
・音楽自体にはわかるもわからないもない
・構造や演出には「わかる」「わからない」はある(が、わかる必要はない)
・現代のポップミュージックのほとんどは構造や演出を備えている
音楽という枠組みをもう少し丁寧に(当社比)扱うとこんな感じになるのではないか。
音楽自体は「わかる」「わからない」を超越している。それはそれとして、現代のポップミュージックには「わかる」部分が多くある。自分は構造や演出に興味があって、音楽もそれらを絡めた楽しみ方をしていて、だから冒頭に書いたように音楽は「わかる」ものと思っていたのだろう。「音楽」と「構造や演出」を混同というか、不可分なものと思っていたのだ、たぶん。
結局言葉の話みたいになってきた。音楽に対して「わかる」と言うとき、たいていはなにかが省略されていたり、なにかの言い換えだったりすると思う。…ということを読み手としては意識しておこうと思う。
でも、別に音楽に対する「わかる」という表現を悪くは思わない。ぜんぜん使っていいと思う。というのも音楽ってなんだかんだ「わかる」部分の方が多いと思うから。ただ、ここは人によって違うというか、究極、宗教とか信条の話になりそうなのでこれ以上は語りません。
以下全部蛇足。
・ここまで書いたけれど、そもそも音楽に対して「わかる」と言うことについてモヤモヤする人そんなにいないかもしれん。まあいいか。
・良さがわからん音楽に対する対処法、回数聴く(音楽を覚える)か、聴くときのシチュエーションを変えるくらいしかないかなーと思う。
・シチュエーション変えるの大変だ。でも夕暮れ時にバイパス運転しながら聴いた『アンテナ』は最高だった。いや元から好きだったが…
・シチュエーションについて 「疲れてるときに」「キンキンに冷えた」のを飲むと旨いんだよ~とか言われても、そんなんたいていの飲み物がそうだよなと思う(唐突なビールdis)
・埋め込むためにその人のホームを見ていたら今日も興味深い呟きが。
鳴り物を鳴らすのは基本的にはうるさいわけで、それに秩序が与えられると音楽になるが、うるさくならないバランスが問題になり、ロックなどが害悪視されたのはうるさいからで、音楽理論も耳障りかどうかの問題で……音を鳴らすことの根本的うるささって、音楽論において重要だなと改めて思った。
— 千葉雅也 Masaya Chiba (@masayachiba) October 24, 2023
音楽は根本にそういう欲動の奔流があるので、それを一定の形に収めようとするディシプリンはだんだんと過剰に神経質になり、元が暴れることだからこそその去勢が高度に発達し、ピアノのレッスンが近代的身体訓練の一環になり、はたまたある種の「クラオタ」の保守的道徳観みたいなものにもつながる。
— 千葉雅也 Masaya Chiba (@masayachiba) October 24, 2023
自分がメタルやハイパーポップをあまり聴かない理由だ。
・11月の文フリ東京でRVNG本出すからよろしくね(宣伝)