アンビエントについて考えたことの、とりあえずのまとめです。
アンビエントミュージックを聴いていると時間が引き延ばされたように感じることがあります。その仕組みについて、自分は下記のように考えました。
(思考の流れについては過去記事参照)
1. 時間感覚の変化は聴き手自身の集中力の変化によって引き起こされる
2. アンビエントを聴いていて時間感覚が引き延ばされるのはそこに(一時的に)聴き手を集中させる仕掛けがあるから
3. 聴き手を集中させる仕掛け①として長い1ループがあり、これが機能するのはわれわれが曲構造ベースの聴き方をセットされているから
4. 聴き手を集中させる仕掛け②として音色の変化があり、特に自然な減衰以外の音色の変化は自然な減衰を聴き慣れた聴き手の気を強く引く
※聴き手に音色をはっきりと捉えさせるにはある程度長く音が鳴らされる必要がある
※(仮)音が長く鳴らされれば鳴らされるほど微細な音色の変化を捉えられる?
聴き手の集中力をコントロールすることで聴き手の時間感覚も操れるんじゃないか、という話です。
4番については、猫じゃらしを本能的に(=無意識レベルで)追ってしまう猫……の聴覚版なのではないか、という話もしました。またそのとき……聴き手をひとつの音に集中させるときにはそれ以外の音が集中を阻害しちゃダメだよな、とも思いますね(これは今思いつきました)。
まとめは以上で、以下では実際に自分が時間感覚延びる~と感じた楽曲を取り上げて、それがどのようにして引き起こされたのかをそれぞれのケースで見ていこうと思います。
Stars Of The Lid「The Lonely People (Are Getting Lonelier)」
その1の記事中で紹介した「Mullholland」の次の曲で、両者はシームレスに繋がっています。
シンプルなフレーズの繰り返しですが、常になめらかに音色が変化していて、耳を引かれます。03:45くらいから低音が入ってくるのですが、そこからは音の変化のなめらかさが極まってきて、音高の変化の境界も掴めないほどになってきます。
音色の超~なめらかな変化を複数同時に聴かせることでもう頭の中がぐにゃぐにゃにさせられます。ひとつひとつの音を区別しにくい(倍音?なのかな)のもぐにゃぐにゃ感に拍車をかけているような気がします。
個人的にはStars Of The Lidのこのアルバム(『The Tired Sounds of~』)はこの方面の音楽の最高峰の作品だと思ってます。満点以外あげられない… 正直に書くとこの作品を推すために今回の記事が書かれたところがあります。(サウンドの系譜的にはPauline Oliverosを挙げるべきなのかもしれませんが、単純に音色の好みでこちらを挙げてます)
Will Long「Chumps」
こちらは Stars Of The Lidとは異なり明瞭なリズム(ハウスビート)があります。楽曲の中心は音色のぼやけた、長く引き延ばされたコードで、このコードのゆ~っくりとした減衰が聴き手の時間感覚を狂わせます。コードの一回の発音がめちゃ長いので掴みにくいですがシンプルな繰り返しの構造があり、両者が合わさってより強力な効果を及ぼしているように思います。
(今気づいたけど『Long Trax 3』がいつの間にかリリースされていましたね…。)
Éliane Radigue「Kailasha」
単一?か複数かわからないのですが、持続音の音色の変化だけで約一時間聴かせるという、ドローン・ミュージックの究極とも言えそうな作品です。ドローン以外の要素が完全に排されているところが特徴で、聴き手はドローンの音色の変化に否応なく集中させられます。清貧とも取れそうなミニマルなスタイルですが、聴き手を強制的に瞑想させるような、強い磁力を持った作品です。
Gas「Gas 1」
Gas(Wolfgang Voigt)の『Nah Und Fern』のディスク1の一曲目です。『Nah Und Fern』は過去作をまとめたボックスセットですが、96年作の『GAS』の再録にあたり1曲目と3曲目が差し替えられているようです。つまりここで挙げている曲は96年にリリースされたオリジナルの『GAS』では聴くことができませんので注意。
上で挙げたStars Of The Lidと同じようなスタイルですが、こちらはほぼほぼ音高の変化がありません(つまりメロディーやらフレーズといったものがない)。いや若干、微妙~にあるっちゃあるのですが、Stars Of The Lidと比べると希薄です。
こちらも複数の(タイミングの異なる)なめらかな音色の変化で聴かせる作品ですが、それに加えて左右の音の定位もなめらかに変化させており、よりサイケデリックな味わいがあります。特に終盤のフェードアウトが秀逸で、聴いていると意識が虚空に吸い込まれていくような気がします。ぜひ音源を入手して聴いてみてください。
Kali Malone『The Sacrificial Code』(アルバム)
最後に、今回の記事のきっかけとなったKali Malone『The Sacrificial Code』について見てみます。
パイプオルガンという楽器の特性なのか、持続音の音色の変化(ビブラートや減衰)がほぼありません。また、曲の繰り返しの構造もたぶんあ……るんでしょうけど、一回の発音が長いせいか自分の能力では掴み切れず……両者が合わさることで、音楽のどの部分に注目すればいいのかがわからず、本当に迷路に迷い込んでしまったような感覚を覚えました。
作中に2つある「Sacrificial Code」という曲はかろうじてフレーズと、そのもうひと段階上の曲構造を掴めたような気もしますが、その他の曲についてはもうただただ音に浸っている、みたいな感じになっちゃいます。
ひとつの持続音に意識して集中することもできますが、そうするとよろすずさんも書いているように、「息継ぎができない苦しさ」のようなものを感じます。緊張はするけど気持ちいいかというと…(これもある意味瞑想っぽくはある)。
総評としては、個人的にはあまり楽しみ方がわからなかった作品、ということになってしまいそうです。なにも考えずに音に浸っているのもいいですが、音色だけで言うならGrouperのAIAやStars Of The Lidの方が好みですし。しかし曲の掴めなさで言えば随一なので、曲構造を掴むことによる飽きは来そうにありません。それどころか、曲の構造……メロディーやコードの流れを起点に音楽を捉えていく聴き方をリセットさせる力すらあるかもしれません。
ぶっちゃけよろすずさんが書いた以上のことはマジで何一つかけてないんですけど、まあ個人的な印象の整理ということで…。
とりあえずこんなところです。正直、車輪の最発明というか、すでに誰かが通った道なのかもしれませんが、まあ自分なりに整理することが大事だと思うので…。こういう記事もたまにはいいでしょ? 改めて書きますが、論拠のない、自分の体感ベースで書かれたものなのでそのまま鵜呑みにはしないでくださいね。
追記:
「アンビエント 時間 感覚」と検索するとこんな文章がヒットします。参考として貼っておきます。
どれもが焦点とされることを望まない複数の響きが等しい位置付けによって設定され、リスナーに選択肢が提示されるという様態が、アンビエントの特質のひとつをなしている
サティの「家具の音楽」を祖とするアンビエント観といいますか。。 この視点から見るなら、デザインされた集中と、それによる時間感覚の変化という効果はアンビエント的ではないと言えそうです。