アンビエントを聴くときの時間感覚の変化について その1(ループ編)

 今回、いつにもまして主観的で感覚的な話をしています。論拠なし、自分の体感ベースのみ! なのである程度懐疑的な目で読んでください。

 

 

 今回の記事書くきっかけとなったのはアンビエントの方面で活躍されているアンビエントヤクザのよろすずさんのこのレビュー記事です。

 

note.com

 

 記事中で「時間感覚の変容(音楽的効果)」という表現があり、音楽聴いてるとあるよね~と思いながら読んでいたのですが、そもそもこの「時間感覚の変容」ってどういうメカニズムで起きてるんだろうな?と思いまして。ここでつらつらと考えたことをまとめておきます。

 

 

 

 (今回の思考による)結論から書きますが、時間間隔の変化は聴き手自身の集中力の変化によって引き起こされていると思います。アンビエントの作品を聴いていると時間が引き延ばされる感覚を覚えることがありますが、その場合、その作品が(一時的に)聴き手を集中させる、または聴き手の気を引くような仕掛けを備えている、と言えます。

 

 以下ではアンビエントにおいて聴き手を集中させる音の仕組み・仕掛けについて考えたことを書いていきます。

 

 

 人は音楽を聴くとき、無意識レベルで「流れ」(まとまりや構造と言い換えてもいい)を意識しながら聴いていると思います。無意識で意識、というとちょっと違和感あるんですけど…。

 

 その「流れ」、またはひとまとまりが長いときに、流れの終端・まとまりの全体像を(無意識レベルで)確認しようとして、人は集中させられるのだと思います。

 

 有り体に言えば、楽曲における1ループが長い曲を聴くと、われわれの時間間隔は引き延ばされるのだと思います。

 

 

1ループが長い曲の例:Stars of the Lid「Mullholland」

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 これは自分にとっての「時間が引き延ばされる」原体験になった曲です。

 とりあえず、特になにかを意識したりせずに、いつも通りの感じで一回聴いてみてください。

 

 

……

 

 

 この曲、テンポがものすごくゆっくりで、一音一音もものすご~く長いので、よくあるポップスなんかと比べると掴みにくいのですが、はっきりとした曲構造があります。

 

 曲構造についての雑なメモ

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 人によって曲構造の捉え方は変わると思いますが、今回自分はこんな感じに捉えました。…あ、レシャってなんだ。レ#です。置き換えて読んでください。

 

 この曲を聴いているとき、そもそもこのめちゃくちゃ延ばされたサウンドの時点で時間感覚が変わっているとは思うのですが、それとは別に、曲構造を掴んだ(いわゆる曲の”1番”のまとまりを体験した)楽曲中盤以降・二回目以降の聴取よりも、初回の、それもこの先の展開の読めない序盤を聴いているときの方が時間感覚がより大きく変わったのではないでしょうか。

 

 

 ……ここで~でしょうか、という形で書いているのは、自分がこの曲を回数聴きすぎて、完全に曲の展開を掴んでいるために「1ループの長さによる時間感覚の変化」が起きにくくなっているからです。もうね、自分で再現しないんですよ。めちゃ悲しいんですけど……なので、できればこの曲を聴いたことがない人の、初聴時の感想が聞いてみたいのですが…(よかったらコメントください)。

 もちろん、自分から意識して集中すればある程度時間感覚は変わると思いますけど、それはもう音楽的効果の範囲を逸脱しているので……あくまで受動的な、音楽を聴いた際のリアクションとしての集中を今回は扱います。

 ……受動的というか、(音楽の効果で)一時的に能動的にさせられる、といった方が近いかもしれません。ぼーっと音楽を聴いていて、ある部分で気を引かれて一時的に集中した結果、時間感覚が変わる……みたいな。とにもかくにも、ものすごく小さなレベルでの集中力の変化を扱っています。

 

 

 

 話を戻して……楽曲の繰り返し構造におけるループ(まとまり)が長いと、それを掴もうとして無意識レベルで集中し、時間感覚が引き延ばされるのでは……という話でした。

 ただし、この仮説には重要な前提がありまして……「そのループが最終的にちゃんとループだと認識されなければならない」というものです。

 

 どういうことかというと、音楽を聴いていて、そこに流れやまとまりを感じられない場合、それを散漫なものと見なして、その時点で聴き手の集中力が低下してしまうんじゃないか、ということです。めちゃくちゃ長大なループを作ったとしても、聴き手がそれをループと捉えられなければ……もっと言えば、これちゃんとまとまってるのかな、ループとして収束しなさそうだな、と感じられた瞬間に集中が解けてしまうのではないか(あくまでアンビエントアンビエント的に聴き流す場合ですが)。

 

 なので、この時間感覚の変化ってわりと綱渡りというか、集中が途切れる/途切れないのギリギリのところで起こってるのかもしれません。

 

 

 今回の記事の主題とは離れますが、音楽聴取体験においては、曲構造を掴みかけてから掴み切るまでが快感のひとつのピークのような気がします。……このピークにおいて時間感覚が変化するのか?

 

 

 

 長くなったのでここでいったん切ります。

 

 

 

※補足 そもそも無意識レベルでも「流れ」を意識して聴いているかなぁ?というのがあります。おそらくここは人によって変わるところです。自分は典型的なメロディー・コードで楽曲を捉えていくタイプなので、特にその傾向が強い(「流れ」を意識している)と思うのですが、いやまずは音そのものでしょ、という聴き方をしている人もいるんじゃないかと思います。まあでも特にメジャーなシーンでは形式的なポップスが主流だと思うので、無意識レベルでも形式を捉えようとする=「流れ」を意識して音楽を聴いている人の方が多数派なんじゃないかなとは思うんですけど…