アンビエントを聴くときの時間感覚の変化について その2(音拡大編)

 もうちょい話広げたいなと欲望したらまとまりもなにもないクソ記事ができました。本当の”雑文”ってやつを見せてあげます。

 

 

 その1ではループ……複数の音から構成されるまとまりについて書いてきましたが、こちらではひとつの音のまとまりについて取り上げます。(たぶんこっちの方が感覚的に掴みやすいと思います。)

 

 ひとつの音のまとまりというか……ひとつの音はひとつの音なんですけど、その音を顕微鏡で像を拡大させるように引き延ばし、音色の変化が細かく捉えられるようになると、ひとつの音がより強いまとまりをもって感じられるようになります。

 ひとつの音が引き延ばされ、音色の変化が捉えられるようになると、今度はその音色の変化の終端を(無意識レベルで)確認しようとして、人は集中させられるのだと思います。音が立ち上がり、そしてまた無音に戻るまでをひとつのまとまりと見なし、そのまとまりの全体像を捉えようとしてしまうのですね。

 具体例を出すなら、お寺の鐘の音とか。あれは引き延ばされたものではありませんが、ひとつの音が長く、その変化をよく捉えることができます。その鐘の音を特別な意識もなく聴くとき、より意識が引かれるのは音の立ち上がりよりも、音がだんだん小さくなって消えるか消えないか……という部分ではないでしょうか(立ち上がりは気を引かれるというよりもびっくりすると思いますけど)。

 

 

 ひとつの音のまとまり感(?)というか、一つの音が一つの音であることを担保しているのは、音色・音量の変化の「規則性」だと思います。

 

 規則的な音の変化のスタンダードな例としては「減衰」があります。これは日常生活でも触れられるとても身近な変化で、電子楽器のように持続的にエネルギー(この場合は電力?)が与えられでもしない限りは、音量は時間とともに(たいていは指数曲線を描きながら)小さくなっていきます。

 基本的には、音の変化が直線的・指数関数的なものと感じられれば、それはまとまりのあるひとつの音として捉えられるのではないでしょうか。まあ規則性が感じられればいいわけなので、ジグザグとかぐるぐるした変化でもいいんだと思いますが…

 

 しかしこれもループの例のように、その変化が規則性のないものに感じられた瞬間に、音をひとつのまとまりとして聴く集中力は失われてしまうでしょう。お寺の鐘が、その減衰の途中で急に音量を上げたり下げたりし始めたら、なんだこれ…と困惑し、音を真面目に聴く気を失ってしまうのではないでしょうか。

 

 

 

……ここまで書いちゃったんだけど、これ、本当にそうかな…。音の終わり際の方が気になるのだろうか。

 その1で「1ループが長いとその終わりが気になって無意識に集中してしまう」という内容のことを書きましたが、それは「聴き手が無意識レベルで曲構造を意識して音楽を聴いている」という前提があったからこそのものでした。その「1ループ(複数の音から成る構造)」を「1音」に変えるなら、前提もそれに合わせて「曲構造を意識して~」を「音構造を意識して~」に変えないといけない。音構造なんて意識したことある? てかそもそも音構造ってなんやねん(エンベロープか?)。

 

 あ~もうよくわからなくなってきた。一回リセットします。

 

 「聴き手が無意識レベルで曲構造を意識して音楽を聴いている」のは「社会にそれだけ形式的な楽曲が存在していて、われわれがそれらに(無意識レベルでも)多く触れているから」、つまりわれわれは現代社会で生活しているうちに無意識でそういう「聴く型」をセットされているのでは……みたいなことをその1の終わりに(補足として)書いたんですけど、これの音色というか音バージョンがあるとしたら、それは「減衰」なのでは、という。

 

 音は基本的に減衰するもの、とわれわれは無意識レベルで捉えているのではないでしょうか。なので音が鳴らされても(どうせこういう風に変化(減衰)していくのだろうな)と思って、実際、音がそのように変化しているうちは気にも留めない。

 そうであるならば、聴き手の気を引く・音に集中させるには減衰「以外」の音変化をさせればいい。そしてそのうちの一つで、特に時間感覚を引き延ばす音変化が「(自然界にないレベルの)ゆっくりな減衰」=「引き延ばされた音」なのでしょう。

 そもそも「ゆっくりな減衰」は聴き手にはっきりと変化として捉えられるかどうか微妙な気もしますが。そういうものなのかな?でスルーされそう。というかそういうもの(=元から、加工する前からゆっくり減衰する音)が実際にあるじゃないですか、上で挙げた鐘みたいな。まあ鐘という物体自体は人間が加工したものだし……あ~もうこんがらがってきた。音を引き延ばす処理が現実に可能なんだから「”ゆっくり”な減衰」も音の変化として捉えるのはアリ。アリです。

 逆に減衰を”途中から”早めれば時間が圧縮されたような感覚を覚える……かもしれません。卑近な例で言えばテープストップとか。いやこれは減衰じゃないな……。でももし両者(延長・圧縮)をごちゃまぜにしたような音楽があったら、より時間感覚がぐらぐらさせられるのかもしれません。

 

 減衰よりももっと直接的に聴き手の気を引く音の変化があって、それは「ビブラート」です。ウィキによればビブラートとは「音の見かけの音高を保ちながら、その音の特に高さを揺らすこと」だそうです。揺らし方に特に指定はないので、おそらくこの語が表す範囲って超広くて、ぶっちゃけ自然な減衰以外の音の変化はすべて「ビブラート」の一語で表しうるんじゃないか、とか。まあ実際は音高が変わる場合は含めないんですけど、でも個人的には(持続音の)音高が変わる場合はそれはもう一音ではないのでは、なんて思っちゃうんですけど(それもうスラーじゃない?)。

 

 話を戻して……聴き手の気を引く・集中させるには、(自然界にあふれている)減衰以外の音の変化をさせればいいのでは?という話でした。

 

 

 

 もうここまでの話がごちゃごちゃしてきているので一回整理しましょう。

 

1. 時間感覚の変化は聴き手自身の集中力の変化によって引き起こされる

2. アンビエントを聴いていて時間感覚が引き延ばされるのはそこに(一時的に)聴き手を集中させる仕掛けがあるから

3. 聴き手を集中させる仕掛け①として長い1ループがあり、これが機能するのはわれわれが曲構造ベースの聴き方をセットされているから

4. 聴き手を集中させる仕掛け②として音色の変化があり、特に自然な減衰以外の音色の変化は自然な減衰を聴き慣れた聴き手の気を強く引く

※聴き手に音色をはっきりと捉えさせるにはある程度長く音が鳴らされる必要がある

※(仮)音が長く鳴らされれば鳴らされるほど微細な音色の変化を捉えられる?

 

 猫と猫じゃらしではないですけど、視界内で動くものをつい(無意識で)追ってしまうことってあるじゃないですか。あれの聴覚版が4.なんじゃないかなあ、とか。たぶん人間の認知とか注意とか、心理学とかの領域の話になるのかなあ、とか。(たとえば「聴覚 注意」で検索するとこんな論文がヒットします。)

 

 

 

 また長くなったのでここで切ります。