音楽の軽さ・重さについて

この記事を書くきっかけとなったのは、普段からツイートを拝見させてもらっている方のこのツイート。

ぼくが普段感じていたことをきれいに言語化されていました。一度このテーマについてはまとめておきたいなーと思っていたので、忘れてしまう前に。

ちょっと話は変わるのですが、ぼくは大学生活を送っていく中で、自分の音楽の趣味がだんだん変わってきたことに気づきました。どのように変化したかというと、以前は椎名林檎だとかミスチルだとかまたはプログレだとかの、元気がよかったりエモーショナルだったり複雑でドラマチックだったりする音楽を好んで聴いていたのですが、大学二年生くらいからはそのような音楽をあまり聴かなくなっていき、逆にだんだん穏やかな音楽を好むようになりました。
この変化の原因は大学生特有の、「膨大な、ストレスのない自由な時間」だと自分は思っています。変化のない日常に慣れた結果、変化を恐れるようになったというか。大きな感情の動きを疎ましく思うようになった。
小中高は基本的に毎日(少なくとも平日は)学校に行って、適度なストレスを受けていましたけど、もともと人見知りするのもあって大学生活はほとんどアパートに引きこもっていましたからね(アパートが近いこともあって昼休みにすら帰宅していた)。もっと言えば家族との接触もストレスですよね。ぶっちゃけると自分以外の他者との接触はすべてストレス要素を含んでいる。

まあそんな感じの経緯で、上記のツイートの内容にはすごく共感できるのです・・・・・・・・・と、これで終わってもいいのですが、せっかくなのでもう少し踏み込んでみます。
以前はこのツイートの『流麗なメロディ、ドラスティックな展開、意味を持った歌詞、あるいは人の声そのもの、そういったものがある曲』を「重い音楽(曲)」とぼくは呼んでいました。逆に新しく好みになった音楽は「軽い音楽」。この「重い」「軽い」についてもう少し考えてみます。まああくまで自分の感覚の話ですけど。
まずツイートで触れられているように、「情報量の多さ」というのはあるでしょう。アルバムや曲という区切りをなくしたなら情報の密度ですね。情報量が多い、または密度が高いほど重く感じる。ジャンルで言えばメタルやプログレは重い傾向があると思います。
でも自分の場合、メタルやプログレよりも重く感じる音楽があって、それは「メッセージ性の強い音楽」です。・・・うーん、変な文章ですね。メタルやプログレにもメッセージ性の強いものありますしね。   ん、思いついた。
もうぜんぜん違う文章ですが、正しく書くと、「自分は音よりも意味により重さを感じる」ですかね。
たぶんここらへんの感じ方は人によって違うと思います。「情報量が多い、または密度が高いほど重く感じる」というのは普遍的なことと思いますが。
「音よりも意味により重さを感じる」。具体例を出せば、インストものより詞のある歌の方が重く感じる、とかですね。あとは、同じく詞があったとしても、意味の読み取れない外国語の歌よりも、ほぼタイムラグなしで読み取れる日本語の歌の方が重い(実際は重さは変わらず、ただ自分が外国語の歌の重さを感じられないだけ)。
もう少し言えば、詞のある音楽でも、語りに留まっているものと、直接聞き手に何かを呼びかけるものでは重さが異って感じます。ぼくは後者の方が重く感じる。ただ物語を提示しているものは、そこからなにかを読み取るかどうか、読み取るにしてもなにを読み取るか、ということが聞き手にゆだねられており、若干の自由がある。一方後者はそういった解釈の自由がないですし、そもそも「世界を変えよう」という強い意志がありますよね。極端な例を挙げると、ドリーム・シアターの「Metropolis Part 2」よりもくずの「全てが僕の力になる!」の方が重く感じるということです(極端すぎる・・・)。

力尽きました。とりあえず今回はこのへんで・・・