・きっかけ
身体性ということであればテン年代、各々に強烈なキャラクターと身体性をもったUSラッパー達が時代を謳歌したわけだけど、コロナ以降いまいち彼らのキレが感じられないのはストリートであったりライブであったり現実の場に身体を晒す状況が失われ、声とトラックの骨格だけが残されたからではないかとも
— 李氏 (@BLUEPANOPTICON) January 23, 2021
このツイートを読んで違和感を感じたことが今回の記事を書くきっかけになりました。元々は「ハイパーポップ」の話が発端だったようですが、自分はハイパーポップとされる音楽を聴いていないのでハイパーポップの話はできないしここではしません。それはさておき、このツイは連続したものの一部なので、これに繋がってるツイも一度読んでみてください。
・本文 いや、きっかけの節も本文だけど…
ツイを読んで自分の思っている”身体性”と違うなと思った。自分の思う身体性については以下。
これを用いると一見アートのことがわかってるっぽく見える気がするが実はまったく大したことは言っていないしいまいち言わんとするところが伝わらないので使う意味がない系の用語を一般的な言葉遣いに直すことにした。例: 身体性→絵を描いてる時の体の動かし方が見てわかる感じ。 pic.twitter.com/6cGN2bWugv
— 松下哲也 (@pinetree1981) September 29, 2020
これの音バージョン……音を鳴らしてる時の体の動かし方が聴いてわかる感じ というのを基本的には想定してた(録音された音にも身体性は宿っているという理解)
— にんず (@ninz51) January 23, 2021
例えば、ギターでFのコードの音が全音符でジャ~ン…と鳴らされたとする。それを聴いて、コードを押さえる手や弦を弾く手や腕(の動き)が頭に浮かんだのであれば、「その音には身体性がある」と言える。ラップ含むボーカルやアナログな楽器の音には基本的に身体性がある。逆に身体性を掴みにくいのはシンセや打ち込みの音だろうか。身体の動きから想像される音のイメージと実際の音が一致しないもの。
この、「音楽における身体性」という概念は、大学時代のポピュラー音楽を扱った教養科目で初めて触れて、そういう概念があるのか~と感心した思い出があります(これは自分語り)。
話を戻して、この自分のツイに付いたリプライも貼ります。
割とその辺は作り手が身体として存在していることの確からしさが感じられるかどうかという広い意味で捉えている感じです。
— 李氏 (@BLUEPANOPTICON) January 23, 2021
改めてこのリプや、最初に貼ったツイートのリプライツリーを読んだら、李氏さんの言う「身体性」って、より正確には「アーティストの実在感」なんじゃないかなと思った。そのアーティストが実際に世界に存在していると感じる感覚。もしそうなら、身体性という言葉を使わずに「アーティストの実在感」と表現した方が誤解なく相手に意味が伝わるんじゃないかなと思った。
例えばある歌手がいたとして、ライブなどではなくCDなどの媒体からその歌手の曲を聴いても、その歌手が今、現実に存在しているかどうかはわからない。しかし、ライブでその歌手が、録音されたものと同じようなパフォーマンスをするのを見れば、その歌手が現実に存在しているということを実感できるだろうと思う。
李氏さんのツイに感じた違和感にもう少し向き合って、気づいたのが視覚の情報と聴覚の情報をまとめて扱っている、ということだった。まとめて扱うことは悪くないけど、話は複雑になる。複雑な話は正確に伝えることが難しい…。そしてここで気づいたけど、その視点で言うなら自分も話をまとめて…というかごっちゃにして語っていた。
「音を鳴らしてる時の体の動かし方が聴いてわかる感じ」を音楽の身体性としていたけど、これはより正確に表現するなら「音の」身体性ということになるんだと思う。音楽には「聴く」楽しみもあれば「観る」楽しみも、「弾く(演る)」楽しみもある。自分はその「観る」・「弾く(演る)」の視点を抜かして、「聴く」……つまり「音の」身体性のみを音楽の身体性として見做していたらしい。
そもそも身体性の希薄化という意味では分業化と配信化で過去10〜20年くらいずっと進んできたというのが僕の見方で、排除された身体性の行き先としてライブ興行が肥大化していったと。ただコロナでそれが完全にポシャったのでそういう大きな流れも見直されるんじゃないかなと思うわけです。
— 李氏 (@BLUEPANOPTICON) January 24, 2021
これはまた自分とは別の方との会話内でのツイですが、例えばこのツイにおける「身体性」が具体的には何を指すのか、ということを考えると少しおもしろかったりします。希薄化しているとして、それが「音の」身体性なら、解釈のひとつとして、「生演奏の録音が減って、打ち込みの音が増えた」というのはあるかもしれません。「視覚的な」身体性なら、「アーティストの外見を見る機会が減った」とか? とりあえず、自分はこのツイートの文章の意味をひとつに絞ることはできません(それが悪いという意味ではないです)。難しい文章だ…
「身体性」という言葉は音楽以外のジャンルでも使われているようだし、音楽という一ジャンルの中でも複数の意味を持っている。会話内で使う際には正しく意味などが伝わるよう、使い方に注意が要ると思う。あるいは、松下さんの言うように「そもそも使わない」という選択もあると思います。
以前TLで、音楽に対する「絵画的」という形容が流行りかけたときに、自分は一人で「それぜんぜん意味伝わらなくない?使わない方がよくない?」って息巻いていましたが、その動きの延長にあるような記事です。自分はディスコミュニケーションが嫌い(見る分にはいいけど)なのでこういう動きをします。
・「音の」以外の身体性
ここまで書いておきながら、でも「音の身体性」レベルにまで意味を限定するなら会話で普通に使ってもいいのでは?とも感じています。ただ、音楽における身体性の、「音の身体性」以外の身体性については、自分はまだ見つけたり定義できたりしていません。
しかし、ヒントになりそうなツイートを見かけたので、紹介します。
曲を取り囲む身体性を舞踊(アーティストが踊る)、ダンス(聴取側が踊る)、リズム(音楽自体が踊っている)の三角形で考える。
— 私はこーへ (@minicoolkohe) January 24, 2021
これは舞踊とリズムを重視したよくある基本のIDMだねとか、リズム偏重型IDMだね、珍しくダンスを意識したIDMだねとか言えるようになると思います。
— 私はこーへ (@minicoolkohe) January 24, 2021
自分がこの発想をきちんと捉えられているかはわからないけど、リズム偏重型(音楽自体が踊っている)の曲としては、例えばこの曲とか
極端なものならこの曲とか
が当てはまるのかなーとか。
ダンス偏重型(聴取側が踊る)ならこういう曲とか。
舞踊偏重型(アーティストが踊る)の曲は、その方面に疎い自分には浮かびませんでした。あとどうでも良いですけど、個人的にはリズム偏重型(音楽自体が踊っている)の曲がわりとダントツで好きです。Earth, Wind & Fireの「September」とか普通につまらないな…とか感じる人間なので。。
またこれに関連して「踊りやすさ」についても考えてみました。「リズムのわかりやすさ」(→複合拍子やら混合拍子の曲は踊りにくいのでは?)と「拍のわかりやすさ」(→これはどちらかというとサウンドデザインの話)が踊りやすさには重要なのでは?と思いました。シンプルなことしか挙げてないけど、これらがクリアされているなら、他がどれだけ変でも踊れるんじゃなかろうか。以上、踊りエアプ勢の雑思考でした。
というところでひとまず終わりにしようと思います。「音の身体性」のバリエーションについて、個人的にまとめたいなと思っているので、いつかまとめるかもしれません。ツイートの掲載に問題があれば教えてください。
※2021/01/25 23時過ぎ 追記
ツイートを引用させていただいた李氏さんから反応……引用したツイートの解説を頂きました。のでこちらに貼っておきます。記事中盤に貼った「そもそも身体性の希薄化~」というツイに対するものです。おかげで意味がわかりました。ありがとうございます。
「分業化と配信化が身体性の希薄化を生んでいる」というのはかなり圧縮された表現で、コライティング的手法による製作上の分業体制が作り手の実在感を削ぎ、同様にストリーミングの普及によるリスナーの母数の拡大が聴き手の実在感をなくしているという意味で言ったつもりでした。
— 李氏 (@BLUEPANOPTICON) January 25, 2021
ここでいう実在感とはつまり一方が他方に対して身体的な実在感を感じられるかどうかということであり、お互いが同じ場を共有するライブビジネスの肥大化は言わばその補完として起こった現象なのではないかというのが趣旨です。
— 李氏 (@BLUEPANOPTICON) January 25, 2021
これは言い換えれば作り手と聴き手の距離感の問題でありライブのような物理的方法以外で二者の隔たりを埋める方法を考える必要があるのではないかと。
— 李氏 (@BLUEPANOPTICON) January 25, 2021
そのためにはこの20年間進んだ分業化と配信化の流れもまた問い直されるべきだろうと。
— 李氏 (@BLUEPANOPTICON) January 25, 2021
自分の理解力の問題もあるのですが、李氏さんは難しい言葉遣いをされるので、問題提起としてされた話も(問題は何?)となってしまうことがたまにありました。改めて解説ありがとうございました。確かにな~…と思いました。
※2021/01/26 8時くらい 追記
李氏さんと会話していた私はこーへさんからも反応いただきました。自分がわからん浮かばない~と言っていた舞踊偏重型(アーティストが踊る)の曲について、当てはまりそうなアーティストを挙げていただき、より理解が深まったように思います。以下、共有します。
わかりやすくまとめてくださりありがたいです!三浦大知とかChildish Gambinoが1番舞踊でしっくりくるのかも?他にはMoses Sumney、Arcaのライブのこと考えて僕は舞踊と表現しました。
— 私はこーへ (@minicoolkohe) January 25, 2021
Popってこの三角形のバランスがいいよねとも思います。Bruno Marsとか自身はすごい難しい踊り(舞踊)をしているし、でも観客もノリノリだし、曲自体も跳ねていて。(マイケルジャクソンもそういった分析ができる?ここらへんは適当かも。)
— 私はこーへ (@minicoolkohe) January 25, 2021
たしかに、今回提示された3つのポイントをバランスよく音楽に組み込むことで、より広い層に楽曲を届ける、というか刺すことができるようになる気がします。自分はどちらかというと聴くことに偏っているので、こういう発想は生まれませんでした。
どの曲にも3つともの要素は少なからずあるのでどの指向性が制作や披露の際に強いか?ぐらいのノリで見ると楽しめるな〜っていう。なので、偏重とか重視とかいった言葉使いになってます。
— 私はこーへ (@minicoolkohe) January 25, 2021
graeとか球体とか、個人的に少しノレないところあったんだけど、アーティストが踊るっていう視点持って聴いたらもっと楽しめるような気がしてきた
— にんず (@ninz51) January 25, 2021
こーへさんのツイを受けての自分のツイも貼りました。今までよくわからないなーと感じていた音楽も、「アーティストが踊る」……あるいは「(自分が)アーティスト的に踊る」ことを想定して聴くと、より楽しめるようになるかもしれません(思い当たる節がちょっとある)。Arcaも正直よくわからん……といった感じだったので、今回の思考を踏まえてそこらへんのアーティストの作品をもう一度聴いてみようかなと思っています。コメントありがとうございました。