音楽の重さ・軽さについて2(仮)

ここからは、本来は前の記事の続きだった部分です。でも納得がいっていない・・・。続きを上げるとしたらここらへんを整理した記事になると思います。
未整理です!


詞から離れて、もう少し音そのものに寄って考えてみます。まず引用ツイートに出てきた「人の声そのもの」について。ぼくはこれは「サンプリングか演奏か(歌も演奏と捉える)」の話に帰着するかなーとか思ってたんですが、あれ、そもそも録音行為って広義のサンプリングじゃないか・・・みたいな感じでごちゃごちゃしてきて。。
まあ、これについては、「音から演奏者の(歌手の)感情を感じてしまう」ってことだと思います。歌以外でも、楽器を介していても同様だと思います。うーん、「感情」までは行き過ぎか。究極的には、音から正確に演者の感情を知ることはできません。「身体」ですかね。音から身体の動きを感じて、それらから感情などを想像してしまう、って感じですかね。
違うかもしれない。いやまあそういう共感ってのもあるだろうけど・・・もっともーっとセンシティブになったときには、もうなにかを表現しようという意志が重く感じられるってことか。「人の声」ってのが日常のコミュニケーションで一番使われているのが問題というか。「人の声」がコミュニケーションを、なにかを表現しようという意志を感じさせるからアウト? え? 極論、生きた他者を感じたらもうダメなんじゃない?(コミュ障だ・・・)   あーもうわかりません。
なんとなく感覚を整理すると、音ならば、鳴らそうと思って鳴らされた音は重い。その点で言えば、歌(声)と演奏は同じ重さだけど、歌は言葉を発せられる(コミュニケーションの可能性がある)からもっと重い。いやまあモールス信号とかもありますけどいったんスルー。共感のしやすさで言えば、やっぱり声が一番身体を感じやすく(重さを感じやすい)、演奏は楽器を介している分軽い?楽器の中でも打楽器なんかは感じやすいと思う。また、電気を介するかどうかも少しは差を生み出していると思う。改めて考えると、情報量で言っても声が一番重いような・・・ でもこれは、日常での声によるコミュニケーションのおかげで、声に情報を含ませる・声から情報を読み取る能力が鍛えられているからな可能性もあるんじゃ・・・

閃きました。いい感じの基準。「人間を感じるかどうか」。でもまあ、音楽作品って人間が録音している以上、絶対に人間が関わっているんですけど(当たり前だ)。また、この「人間を感じるかどうか」でもなんというか強度があって、それがこれ。
意志>感情>身体
楽器の演奏から正確に読み取れるのは「何かが動いている」ってことだけで、アンプやエフェクターなどで音を加工できる現代では、その動きの大きさなども正しく読み取ることはできません。もっと言えば、動いているのが人間か機械かということもわからない。演奏から読み取った感情や意志というものは、悪く言えば妄想の産物であり、それが正しいという保障はありません。正しくなくてもいいっちゃいいんですけど。
感情や意志をはっきりと表現できるのは言葉を扱える「声」だけです。だから重くなりがち。まあただの音として声を扱うこともけっこうありますが。
これをベースに考えると、人間性から離れれば離れるほど音は軽くなると考えられます。歌より楽器の音の方が軽いし、楽器の音でも生音より電子音の方が軽い。歌でも、それを素材として切り刻んだりすることで、「生身の人間には出せない」ような音になれば、それは軽く感じる。
一番軽い音は、環境音などの「意図せずに入ってしまったノイズ」でしょうか。まあそれを消す、あるいは入れないようにすることも可能なわけで、それの存在を認識しながら録音にそれを残すという判断をしたならば、そこにはほんのわずかな意図が混入してしまいます(重くなる)が。


次は音楽の構成ですかね。単純に、展開すればするほど重い・・・ってのは情報量の話で片が付くんですけど。それとは別に感情を動かしやすい曲構成ってのがあるようで。詳しくはhttp://thesignmagazine.com/sotd/siamesecats_takecare1/ここの前半部を読んでほしいんですけど。少し引用すると、
『もっとも端的な例は、所謂サビ原理主義ですね。イントロもヴァースもブリッジも言わば、刺身のつま。ミドル・エイト(=大サビ)はコーラスをさらに盛り上げるために機能する。すべてはコーラスをどかーんとエモーショナルに盛り上げるために存在するという、世界に誇るJ音楽におけるとても特異な構成です。』
曲の展開する回数や展開のバリエーション数が同じでも、その構成によって感情へ働きかける力が違うという。で、日本のロック&ポップスの多くは過剰に感情に訴えかけるような曲構成になっていると。これはまあぼくは実感としてあります。洋楽に慣れると、日本の音楽は感情的に聞こえる。ちょっと悪く書くと押し付けがましいというか。逆に日本のこういう音楽に慣れると洋楽はちょっととっつきにくい。特に昔の・・・たとえばビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る」とか、シンプルすぎてよくわからない(超名曲です)。どっちがいい・悪いではないですけどね。単純に多様性があった方がいいでしょうし。ただ、布教活動をするにあたってはここらへんのことを意識したほうが上手くいくんじゃないかなあ、というくらいです。