Pink Floyd [Atom Heart Mother]


 イギリスのロック・バンド、ピンク・フロイドによる1970年作。
 普段はできるだけあんまり有名じゃなさそうな作品を取り上げたいと思っていて(実際にできているかというと微妙だけど…)、それにはまあいろんな理由があるんですが、またそれとは別に有名無名関係なく単純に自分の好きな作品を紹介したいという思いも常にありまして… ピッチフォークのSunday Reviewsではないですけど、今回はそんな感じで自分のお気に入りの作品について書きます。



参考
プログレおすすめ:Pink Floyd「Atom Heart Mother(邦題:原子心母)」(1970年イギリス) | プログレの種



 ピンク・フロイドの『原子心母』です。ロックのファンにとっては有名も有名で、ヒプノシスの印象的なジャケットも含めて知らない人はいないんじゃないかと思うレベル。いろんなリストで取り上げられているのを目にしますが……でもピッチフォークでは見たことないような気がします。1970年代の100枚にも載ってこないし(一応、そのリストでは70位に狂気、67位におせっかい、36位に炎、32位にザ・ウォールが挙げられています。同一アーティストで4枚ってのはたぶんデヴィッド・ボウイレッド・ツェッペリンに並んで最多だと思います。)まあ音楽性とアルバムの構成が『おせっかい』と少し似ているので、片方を載せとけばもう片方は別に…という感じなのかもしれません。(どうでもいいですが、漫画のジョジョでもけっこうな回数取り上げられているバンドです。クレイジー・ダイヤモンド、エコーズ、アトム・ハート・ファーザー……)



 ちょっと扱い悪くない?と思うことがもう一つありまして、それが「Office Chipmunk」のピンク・フロイドのページで今作についてのまとまった文章がないこと(個人的すぎる…)。Office Chipmunkってのはプログレについてはちゃめちゃな情報量を誇る日本のサイトで、高校生のプログレにはまっていた時期なんかは熱心に読みふけっていたのですが(Maneigeに出会えたのはこのサイトのおかげ…)、有名な作品はほとんど網羅されているこのサイトでなぜか原子心母はスルーされているんですよね。いやまあおそらく個人のサイトでしょうしスルーの理由もそんな深刻なものではないと思いますが、好きな作品だからちょっと寂しいなーという、ね…

(2018/5/6 追記)chipmunkさんからコメントいただきました!(ありがとうございます。) 原子心母の記事がないのは単なるヌケとのことです。深刻な理由じゃなくてよかった。。 気長に待ちまーす。






 今作の内容について、自分が特に魅力的に感じているのがB面の楽曲群です。A面すべてを占める大作にして表題曲の「Atom Heart Mother」もSEによる意味深な演出と、それとは対照的なドラマチックな展開に馴染みやすいメロディーを備えた名曲なのですが、しかしこの曲から得られる感動は彼らの他の作品とか、クラシック・映画音楽などからも得ることができるものだと思います(失礼なやつだ…)。それよりも今作を特徴づけている……今作を今作たらしめているのはB面の、ある意味影の薄い楽曲たちだと思います。



 アルバムのどういう部分を特徴と感じるかは人それぞれだと思いますが、自分が今作の特徴と思うところはその「牧歌的な空気」です。牛さんのジャケットが象徴的ですけど、今作の持つ牧歌的で穏やかな空気はポップミュージックの歴史の中でも飛びぬけて魅力的に映ります。プログレとして扱われることの多い作品であり、またプログレ的な視点で見ると当時はエポックメイキングであっただろう表題曲にどうしても目が行ってしまうのですが、そういう文脈を無視して見たときに今作の雰囲気を決定づけているのはB面の楽曲群なのではないか、と思うのです。







 あまりに好きすぎるので少し別個に語っていきます。ギターのデヴィッド・ギルモア作の「Fat Old Sun」。

 後半のギターソロが印象的ですが、基本的にはオーソドックスなフォークソングで、ギター一本で弾き語ることもできるシンプルな曲です。ただ、細かいところで手が込んでいて、音量はとても小さいのですがフィールド・レコーディングと思われる教会の?鐘の音や子どもたちの声が入っており、楽曲の雰囲気作りに大きな効果を上げています。また、こちらも目立たないのですが、楽曲全体を薄靄のように包んでいるスライドギター?だかオルガンの音(「If」の2番から入ってくるあの音ですね)もめちゃくちゃ効果的で、おそらくこれがあるのとないのとでは全く雰囲気が変わってくると思います。



 メンバー全員の共作による最終曲「Alan's Psychedelic Breakfast」はミュージック・コンクレートの要素もあり、のどかな朝食の場面を想起させる音が全体にちりばめられています。とはいえ楽曲のメインはピアノとギターを中心に据えた室内楽風のアンサンブルで、それぞれの楽器が奏でるフレーズが有機的に絡まっていくさまはとても美しいです。





 勝手に今作で一番の魅力と感じているB面の曲群ですが、それらで共通しているのはこのギター・オルガンによって醸し出される浮遊感と、(特に最終曲で顕著ですが)環境音・具体音が生み出す空気感なのではないかと。そしてこれを踏まえると、今作はプログレの文脈で聴くことももちろんできるのですが、アンビエントイージーリスニングの文脈で聴くこともできるのではないか、と思うのです。このアルバムの隣にはイエスの危機やクリムゾンの宮殿はもとより、ヴェルヴェッツの3rdやイーノのミュージック・フォー・エアポーツも置くことができるのではないか。


 聴いていて頭にそのイメージが浮かんでくるような演出・音作りが抜群に上手いバンドで、その映像的なサウンドからは(ジャンルはまったく違いますが)例えばボーズ・オブ・カナダが浮かびますし、最終曲のアンサンブルからはミニマルやポスト・クラシカルなんかも浮かんできます。こうやって今作の構成要素を挙げていくと字義通りに、まさしくプログレッシブなグループだったんだなあ、と思いますね。また驚くのはそのバランス感覚で、実験的な要素は軽く匂わせる程度に留めてあり、中心にあるのはあくまでそれぞれの楽曲の良さという…





 今作はロックファン的には必修といっていいような作品ですが、音楽に癒しを求める人にも勧めることができるめずらしい作品だと思います。具体的に今作に影響を受けた!と言う人はあんまし見たことないように思いますが、そういう人や作品がもっと出てきてくれないかなーと思っています。このアルバムがめちゃくちゃ好きだから… そしてその実現を目指してわたしは今日も布教活動をするのです。このアルバムを聴けっ、聴けぇ〜〜〜……



10.0