『きみと、波にのれたら』感想

 

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『きみと、波にのれたら』ビジュアル ©2019「きみと、波にのれたら」製作委員会

  簡単に呟いたもののまとめです。

 

 

 

 こういうことがね、あるんですよね… 

 改めて思ったことを少しメモ(まとまってません)

 自分がどうしようもなく好きなものとして、「なんらかの目的が設定され、それが達成されること」というのがあるらしく、まあ自分でそれができればいいのだけど、別に自分でなくても、他人がある目的を設定してそれを達成してるのを見るだけでなんかすごい快感というか、嬉しくなってしまうらしい。

 で、これがストーリーで魅せる表現物にもあてはまるようで、例えば視聴者にあることを伝えるために作られたシーンがあって、それを見た視聴者にその「あること」がきちんと伝わっていたら感動…! みたいな。なんかそういうフェチがあるらしい(たぶん自分が人見知り&コミュ障というのが原因としてあるような気がする)。

 …ここまで書いて思った、目的が達成されることは大切じゃなかった。これ、目的を共有することが大切なんだ。というか、これこそがコミュニケーションの肝という気がしてきた。あーなんかこれに至れただけでこのうんこ文章を書いたかいがあったような気がする。満足…

 満足してしまったけどもう少し書きます。今作、ものすごくお話が整理されていて、あらゆるシーンにはっきりと目的が設定されているんですよ。でその目的を察する、というか共有することを運よく?連続でダーッとしてしまって、すごく気持ちよくなってしまったという…。うーんここの文章ぜんぜん伝わらない気がする。

 もちろん、目的の存在とは別に、それを達成するためのアプローチも洗練されていると嬉しいんですけど、でも目的が伝わった以上それは些細な問題でもあるんですよね。目的こそが肝だから…

 …うーんすごい半端なんですけど、自分でもまだ整理できていなくて、整理できてないものを吐き出すのも癪なんでこれで終わります。とにかく、細かい部分まで目的がきっちり設定されていることが今作の魅力で、このことはガルパンなどの吉田玲子の関わる他の作品にも言えそうだ、ということです。あとあらゆる表現に目的が設定されているかどうかがその作品が洗練されているかどうかを測る指標になるということ。

 

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 辛いことを受け入れるのに時間がかかっている部分は若おかみのおっこと同じですね。