南蛮渡来

 

 

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 暗黒大陸じゃがたらの『南蛮渡来』について。スヌーザーのリストで存在を知った人間ですが、その前にTalking Heads『Remain In Light』に触れていた自分にとっては初聴時の印象はあまりよくなかった。なぜなら一曲目の「でも・デモ・DEMO」がモロに『Remain In Light』のA面だったから。2分過ぎくらいから現れる高音のコーラスとかすごく「The Great Curve」っぽいし。他の曲もいまいち自分の好みという感じではなかったので(いい作品だけどそ~~~んなに評価されるかな?)みたいに思っていました。

 

 

 しかし最近もっかい聴いて、ようやくこの作品のユニークポイントというか強みを見つけた気がする。それは文字通りの「カオス」……をそのままに聴き手にぶつけてくること。具体的な箇所を示すと「BABY」の1分50秒~とか、「アジテーション」の2分30秒~とか、「クニナマシェ」の4分40秒~とか。一時的にエフェクトをドバっとかけてサウンドを飽和させてるんだけど、こういうぶち壊しみたいなことをかましてくるところが、言ってしまえば『Remain~』との違いなんだろうなと思った。Remain~はどれだけサウンドが盛り上がったとしてもそれは演出だよ、あくまで統制の効いた盛り上がりだよ、みたいなクールさというか生真面目さのようなものがあるような気がする。そういう点と比較すると、1パート(楽器)の気まぐれで全体が壊れうるような『南蛮渡来』の方が生っぽいし危険を感じる。

 

 どっちが上か~というと、Remain~の方が新しいサウンドを生み出そうとしてると感じるので、そちらの方が個人的には評価が高いのだけど、なんにせよ南蛮渡来は南蛮渡来でちゃんと独自の味があるっぽいということが今回感じられたのでよかったです。

 

 そして南蛮渡来はなんというかお行儀の良い鑑賞はあんまり合わない、というのもポイントだった。落ち着いた環境で、(これから傑作を聴くぞ!)みたいな感じで意気込んで聴く作品じゃない。ストレスフルな仕事を終えた帰り道とかクソ汚い部屋の掃除をしながらとかが合っている。紛らわしいのは、Remain~の方はものすごく音楽的な作品なので、そういう高尚な?意識高い?聴き方も普通に嵌まってしまうということ。Remain~がいけたから南蛮渡来もいけるだろと思ってRemain~と同じ聴き方をするとあんま楽しめないです。単純にRemain~の劣化版に聴こえちゃう。南蛮渡来を聴くときはあたまのネジ緩めてすっぽんぽんになって聴きましょう。

 これは蛇足なんだけど、だからどちらかといえばライブの方が本領というバンドだったんだろうなと思う。ライブの良さをスタジオ盤にうまく注入できなかったという例ってこのころの邦楽ではけっこうある印象。まあでもその中では非常にうまくいっている方の作品だとは思うけど。