(音楽)ジャンルのあれこれ

(雑文注意)

 

 

 昨日の夜に音楽のジャンルに関する、議論……とまではいかないのだけど会話(実態はエアリプのキャッチボール)があって、それからずっともやもやとジャンルについて考えていました。てきとうにメモを取りながら考えていたのですが、未整理ながらもなんかもったいないのでブログの方に残しておこうと思います。

 とりあえずバーッと貼ります。先に触れておきますが、美学(審美眼)、シューゲイザーニューエイジという語が登場するのは発端となった会話(エアリプ合戦)にそれらの語が登場したからです。ということで、以下のコピペはあくまで「会話を受けて個人的に考えたこと」です。なので発端となった会話を踏まえないと以下のコピペの内容もうまく解釈できないと思います。が、特に許可とか取ってないので発端となった会話(ツイ)は貼りません。ごめんなさい!

 

重要な追記

 以下のコピペは(繰り返しになりますが)「会話を受けて個人的に考えたこと」なのですが、その元となった「会話」の相手の一人から「会話でされた議論は不完全なもので、その不完全なものを元にした記事を公開するのはいかがなものか」という指摘がありました。不完全なものを元にしている以上は、それへのリアクションである以下のコピペも不完全なものにしかなり得ません。しかし私としては不完全であっても、それを公開することにまったく意味がないとも思いません。なので、「あくまで自分のリアクションのみ」ですが、コピペという形で以下に貼ります。

 なお、この記事に対する感想は批判などは(誹謗中傷などない限り)どんなものでも受け付けています。それらに対して必ずしも自分のリアクションが返るわけではないですが、基本的には公開して誰でも見れるようにします。(追記終わり)

 

 

 

(以下、スマホのメモのコピペ)

 

ごく個人的な考えや感想

 

基本的にジャンル(ジャンル以外の言葉・概念にもあてはまるけど)にいたずらに複雑な意味・定義を持たせたくない。複雑すぎると理解が難しくなる→そのジャンルを言葉としてまともに扱える人は減るし、言葉は使う人がいなくなれば死ぬ。意味が複雑になるほど言葉は使いにくくなるし、使う機会は限定されていく。

はっきり言えばジャンルに分類以外の意味や機能を持たせたくない(個人的な話) ジャンルがジャンル(分類)として機能することを望んでいる


ジャンルがジャンルとして満足に機能するには具体的な(分類の)基準が必要。アーティストは究極的には自らの美学に則って作品を作ってると思うけど、多くの美学(=アーティスト、あるいは作品)を分析することでなんらかの共通点が、音楽的な特徴が見えてくると思う。

 

これは余談だけれど、美学(審美眼?)は様式(=具体的な音楽性)に宿っているのでは?とも。鶏が先か卵が先か…みたいな感じもするけど。
なんか美学って言葉を使うとそこで思考というか分析が終わっちゃう気がする。どこに美学を見出してるのか、を考えると自然と具体的な音楽性について思考が向くのでは?

 

個人的に「美学」という言葉を「快感のツボ」に置き換えると理解しやすい…ような気も(ちょい下品かも)。


現時点でもジャンルがジャンルとしてある程度機能しているのは、なんだかんだで特定の快感のツボを押す具体的な音楽的様式が大衆に広く共有されてるからではないか。具体的な音楽的様式……ジャンルを分類する基準となる音楽的特徴を、みんな言語化はできずとも感覚では掴んでいる。

 

自分はジャンルを分類する基準の策定(多数の作品に共通する音楽的特徴の特定)をするべきだと考えている。そしてそれは個人レベルでは感覚的に成されている人もいると思う。ただ言語化まで至っていないだけで(言語化されない=共有されない、なので個人レベルの域を出ることはない)。


ジャンルの基準が規定された暁には「もはやシューゲイザーではない」というような現象は起き得ない。(これは論理=ロジックの話)
「もはやシューゲイザーではない」という現象が起こるのは基準が不確かなときだけ。基準が不確か=ジャンル(分類)が機能不全を起こすことであって、自分はそれを望んでいない
基準を「美学」とするなら「もはやシューゲイザーではない」という現象は起きるかもしれない。繰り返しになるけど、「もはやシューゲイザーではない」という現象が起きるのはジャンル(分類)が機能不全を起こしているときだけ。そしてそれ自体は良いことでも悪いことでもない。ただ、個人的には好ましくない。(余談:好ましくない理由はコミュニケーションにおいて齟齬が起きる可能性があるため)


だからまあ……まとめるとジャンル=美学ではなくて、ジャンル=具体的な音楽性、としたい。自分は。

 

(「基準を規定すること」とは、「シューゲイザーではないものはシューゲイザーではない」とすること。)


ニューエイジに関しては不勉強なのでそんな語ることはないけど、具体的な音楽性としてのニューエイジと、より広範な文化・思想としてのニューエイジを意識的に分けていった方がいいと思う(釈迦に説法)。個人的な思考においても、他者とのコミュニケーションにおいても。
なんとなく、プログレのジレンマ(?)(辞書的な意味のプログレと当時流行した具体的な音楽性としてのプログレの違いによるコミュの齟齬)と似たような図式があったりするのだろうか。名前に「ニュー」と付いた時点である種のナマモノ的な扱いは避けられなかったのかも。
これも余談だけど、そういうような意味で、具体的な性質ではなく(時代によって移り変わっていく)価値観を差す語をジャンル名に使うのはよくないと思う(ニュー、ポスト、プログレッシブ、先端など)。特定の時代の特定の流行を差す言葉として使うのはいいと思うけど

 

・〇〇さんはジャンルに分類以外の機能・意味を持たせているのでとりま話は噛み合わない。分類の周辺にあるなんか文化的な営みをテーマにしてるような気がする。自分からすればそれはジャンル(分類)の話ではなく人文学の話。

 

 

 

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 ここからはコピペではなく今書いたものですが、自分的なジャンルの理想は以下の画像のようなものです。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E

 どうでもいいですがクマってマジでウルサスなんだ…(ソシャゲの話)