説明行為に対するちょっとしたニガテ意識

 うーん。今日ちょっと会社からの帰り際にかるーくしかられて、まあすごくかるーくだったんだけど、ヨーグルトメンタルのぼくにはそれでもけっこう堪えたので八つ当たり、じゃなかった、こころの整理として書きます。

 それなりに考えて、原因として大きなものはコミュニケーション不足、もうちょい言えば自分の説明不足があると感じた。不足もなにも、自分の口からはなにも説明してなかったんだけど(一緒にいた同期に任せていた)。これじゃ伝わってない部分もあるなーと感じた時点で自分も説明に加わるべきだった。
 じゃあなんでそれができなかったのかというと、おそらく自分の中に「説明」という行為に対するちょっとした苦手意識のようなものがあるからじゃないかと思い至った。それがなにから来ているのか、たぶん一言で表すなら、相手に(お前おれのこと舐めてんのか)と思われたくないという思い、からだと思う。もうちょいはっきり言えば、ぼくは説明「しすぎる」ことを恐れている。それによって相手に(おれはそんなことまで説明されないとダメな奴だと思われているのか)という思いを抱かせたり、逆に自分が相手に(こいつは情報伝達よりも自己顕示欲を優先させている)と思われたりすることを恐れている。

 別になにか特別な意識とかが必要というわけではなく、ふつうに相手とコミュニケーションをとろうと思っていれば、情報の過不足は減らせるし、もしあったとしてもすぐにフォローができる。なんということはない、普通のコミュニケーションである。ただまあそれが例えば今回だと作業内容の報告のような、ちょっとでも改まった場になると、説明したくないな〜という気持ちが自分は生まれてしまう。多少内容が自分の思っていることと違っていても、そのまま何もせず仲間の説明を続けさせてしまう。

 まあとにもかくにも自分が悪い。目的を共にする同志なのだから、目的に沿わない行動――今回であれば説明の不足を感じつつ見過ごしたこと――はするべきではない。ネットでたまに見る「アドバイス罪」というやつである。といって、これを守り続けるのもすごく難しいと思うけど。そもそもほんとに目的が一致してるのかというと――と、これ以上は危ないのでやめておく。建て前としてはぼくはもう社会人らしいし、社会人というものは建て前を大事にするものらしいから。建て前としてぼくはそういう目的を持っていることになっているのだ。大事にしていこうじゃないか。