ラブライブ!一期雑感想

おとといから見始めて、今日の夕方終わった。果たして明日おれは二期も全て見終えて劇場版を見に行くことができるのか。
以下、てきとうに書いてく。

・とにもかくにも、リアル、ですね。とくにキャラクターの内面が、精神構造がリアル。特に二年生以上の主要キャラは。まあストーリー上で役割が振られているってのもあるんですけど。ていうかそこの役割分担すらもリアルだ。一応、チーム内では「先輩」扱いはやめて、みんな平等に接しよう、ということに中盤以降なったけれど、なんだかんだ、チーム内で強い権限・・・というか影響力を持ってるのは上級生であり、まあそれを抜きにしても残されている時間の短い上級生の方が胸に秘めた思いは強い。で、この作品のきれいだなーと思うところは、その思いの強さがあらゆる物事の基準となっていること、そしてそれが一貫してぶれないこと。うまく言葉にできてないとは思うけど、一例を挙げると、思いの強い人ほどストーリーに絡んでくるし、出番(描写)が増えるし、そのおかげでキャラに深みができる。自分の感覚からすると、チームのメンバーの中で一番キャラとしての強度が高い・ぶれないのはダントツで穂乃果ちゃんで、そこからは上級生陣が同じくらい、ちょっと離れて一年生、という感じか。
別に思いというのは、アイドルに対する思いだけではない。凛ちゃんなら花陽ちゃんに対するものがあるし、会長なら学校に対するものがある。とにかく、それら全てを集めた総量が大きい人が出番が増え、物語を動かしていく。
要するに、それぞれの描写が必要充分ってことだよね。ある出来事の背景には、それをちゃんと納得できるだけの積み重ねがある。その積み重ねってのは多すぎても少なすぎても散漫になってしまうのだけれども、ラブライブはそこがすごく全体でまとまっている。ばらつきがなく整っている。これってたぶん、物語を説得力のあるものにしよう、としたら自然になっていった部分なんだろうな。一貫性がある。単純にすげえ。
一応書いておくと、一話だけ、あるいは途中で切った場合は、なかなか上記のように思えないだろう。いや当然ではあるけれども。特に一話は、それ以降に比べるとちょっとぶれてるよね、と思う。といっても自分的にこれはマイナスポイントではない。というのも、一話はきちんとその目的を達している(実際は当時見てないからわからんけど、これなら達したんじゃないかな)と思うから。
一話の目的ってのは、とにかく見てくれた人を惹きつけて、離さないようにすること、だと思う。というか今回はそういう想定で書いてる。だから、わりとインパクト(とツッコミどころ)のあるつくりになっている。
でもラ!のえらいところは、一話の序盤で「今回はこんくらいのふわふわさでいきますよ〜」ってことをちゃんと示していること。これのおかげで視聴者は(この世界はこういうものなんだな〜)とスムーズに物事を受け入れられるようになる。

この場面ね。ここでぼくは↑のようなことを思った。思わずシャフトかよ!とツッコミ入れるところだった。シャフトのあれも、そういうことなんでしょうね。でもあそこまでいくともうなんでもありみたいになっちゃうけど・・・(確実に確信犯ではあるけれど)。

・とにかくリアルだしまとまってるしで、素晴らしい作品であることに違いはない。ない、んだけれども、個人的にはちょっと苦手な部分があって・・・ これ自体は作品の評価に関わるところではない、というよりむしろ評価の原因にもなっている部分なんだけど・・・この作品は自分には少し「リアルすぎる」んだ。
自分が、個人が作品になにを求めているのか、という問題。ぼく自身としては、まず第一に感動できる作品、自分に衝撃を与えてくれる作品に出会いたいと思っている(つもり)んだけれども、それと多少競合する形で「自分を癒してくれる作品」ってのも求めている。で、作品ってのは多くの要素で成り立っているので、当然自分を癒してくれる部分や逆に傷つける部分がある。豆腐よりもやわらかいメンタルの持ち主としては、今回はそのリアルさにちょっとびくついた訳だ。

特にその、上でほめた部分だよね。「思いの強さが全ての基準になっている」ってところ。ここがクルよね。これって、もうぶっちゃけていえば「弱肉強食」ってことなんだよね。
ゆるふわ〜な世界だったら、いきなり空から女の子が降ってきたりするかもしれないけれど、ラ!の世界ではそんなイミフなことは起き得ないわけだ。いや別に起こってもいいんだけれど、その場合はそこに到るまでの背景が(事前にか事後かはともかく)きっちり描写されるはずなのだ。雑にその背景を妄想していくならば、今回はアクションを起こした(降ってきた)女の子の側に何か理由があったのだろう。彼に会わなくてはならない理由が。で彼はたぶん、それを自覚しているにしろしてないにしろ、彼女に求められるなにかを持っているのだ。

あ〜やめやめ。変な方向に行くところだった。とにかく話を戻して。ラ!がリアルだって話だ。自分にとっては、ラ!のリアルさってのはちょっと一線を越えたレベルに達していて、ぼくはラ!の世界にどうしても”現実”を見てしまうのだ。
これと比べると、アイマスってかなりファンタジーだったんだなぁ、なんて思ってしまう。この一線ってのはそんな明確なものじゃなくて、越えて初めてわかる類のものなんだけど、多くのアニメはこれを越えていなくて、アイマスも同様に越えていない。まあアイマスは普段はその線から離れているのに、たまにめちゃくちゃ近づいてくることがあって、それがまたスリリングなんだけども・・・

このリアルさを生み出すのに、ラストの展開はすごく貢献していて。ウィキによれば、この大会(ラブライブ)に参加しない、という展開は賛否両論あったようだけれど、、これはいい判断だったと思う。
よく「風呂敷を広げる・まとめる」という表現があるけれども、あれって中身が伴ってないと意味がないと思うんだよね。大きい風呂敷を広げたなら、その中身も相応に充実させなければ。で、たぶん、あそこで大会に出場していたら、風呂敷と中身がつりあわなくなっていたんじゃないかなあ、と。
まあ実際は逆に「風呂敷から中身はみ出ちゃってるよ!」なんてことになりかねないほどの充実した作品になったわけです。

あとこれ(リアルすぎ問題)と少し似たような問題がもう一つあって、いやまあこれも問題ではないんだけれど、キャラの内面を詰めすぎた結果、「遊び」の部分が減ってしまった、ということがある。特に一番描写があった主人公、穂乃果ちゃん。
キャラって、まあキャラに限らないけれど、中身がスカスカなほうが想像の余地があるものだ。二次創作なんてまさにそうだと思うけど。でも今回は――中でも穂乃果ちゃんは――作中でその確固とした精神を多くの角度から描写されてしまった。ラ!の視聴者は、すでに自分の中にたしかな穂乃果ちゃん像ができてしまっている。たとえ想像の中だとしても、その穂乃果ちゃん像を揺るがすことは、もはやできなくなっている。
これもまたいい悪いという話ではなくて、ただそうなってしまった、というだけなんだけれど。まあ一つ言えるのは、こうなったことには理由があった、必然があった、ということ。

・でも実際、キャラはリアルだよな、と思う。終盤、11・12話で、穂乃果ちゃんの悪い面が出てきたわけだけど、てか悪い面ですらないのか、あれも一つの「思い」の表出であって、ああいう思いも表に出てしまう彼女だからこそ、ここまで来ることができたのだ。

・・・うーん、もっといろいろ、個別に語りたいこともあるんだけど、とりあえずここまでにしときます。なにしろ、この後二期を見なければならないので。間に合うんかこれ。。